北口雅章法律事務所

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「忖度」される,高野利雄・元名古屋高検検事長からの反論

私は,先のブログ
「高野利雄・元名古屋高検検事長が関わった『最低の裁定』!!」
において,今般の高野・元検事長の行動・判断をボロボロに批判した。

法律実務家としての正論をいわせてもらったつもりだが,
恐らく高野・元検事長にも,いろいろ言い分はあるだろう。
しかしながら,相撲協会全体(横綱審議委員会・危機管理委員会,貴乃花を除く理事)が,
白鵬の「罪」状に目を瞑(つぶ)り,
これを隠蔽しようとしたことは疑いのない事実であるから,
正面きっての反論はできないであろう。

もっとも,高野・元検事長には,同元検事長なりの「正義観」があるであろうし,
私からの批判が,物事の本質を無視した,一面的なものであるとの再批判を受ける
可能性もあるだろう
そこで,以下では,高野・元検事長が,私からの批判に対し反論するとすれば,
どのような反論が予測されるか。「忖度」してみることにしたい。

(以下,「忖度」される反論)

大相撲なんてのは,所詮「お芝居」であり,「演技」「見世物」であって,
プロレスや歌舞伎等の「興業」と,何ら本質は異ならない。
すなわち,所謂「プロ・スポーツ」であって,今テレビでやっている,
フィギュアースケートや,オリンピックとは異なり,

「スポーツ」そのものではない!!

「見世物」である以上,「演出」「演技力」がカギであって,
①「見せかけ」の「迫力」と,
②『横綱』という名の「商売道具」が大事なんだ。

『横綱』という「商売道具」を十分に機能させるには,
『横綱』は,ヒエラルヒー(秩序)のトップに君臨する実力者として,これを位置づけ,「剛力」の持ち主として,「強く」見せかけないといけない。
その『横綱』が簡単に負けてもらっては「見世物」にならなくなり,困るのだ。
かといって,時には「番狂わせ」も起こさないと「興業」として成立せず,
相撲は面白くならない。このために必要となるのが「金星」だ。
もっとも,「金星」には「演技力」など必要がない。
年をくって,体力も衰えがちの『横綱』を相手に,
誰でもいい,平幕の若手力士を「ガチンコ」(真剣勝負)で対戦させれば足りることだ。

しかし,それを『横綱』という商売道具の「面目」を奪うような形でやってはいけないし,
「懸賞金」という名の既得権益を,興業の功労者たる『横綱』から奪うような形でやっては絶対にいけない。そんなことを許すと,
『秩序』が乱れて「群雄割拠」,「星のつぶし合い」現象が生じ,
かくて,無政府状態(アナーキー)になる。
これでは,各「力士」の「選手生命」が「短命化」し,ひいては,
年4回の「興業」といった,「過重労働」を強いることに無理が生じ,
大相撲は,「興業」として成立しない。
せっかく『横綱』に登り詰めても,その頃には,若手のガチンコ力士が育っているので,
『横綱に昇進』の翌年には,即「体力の限界」=「傷心の引退」とならざるをえない。
これでは,贔屓(ひいき)の『横綱』目当てに,訪れる相撲ファンの動員ができなくなり,その結果,「興業収入」も減衰し,「相撲業界全体」が沈没してしまうからね。

だから,大相撲の「華」=「商売道具」である,
『横綱・白鵬』,『横綱・鶴龍』は,何としてでも,温存しないことには,
相撲業界全体がやっていけなくなる。特に,『横綱・白鵬』は大相撲「興業」を長年にわたって支えてきた功労者だ。
『横綱』の面目を潰さない『演技力』と『自制心』は全て力士に求められるのであって,
この「秩序」を破壊しようとする貴乃花一門は,「興業」という伝統を無視した,
「理想論」に過ぎず,少数派にとどめておく必要がある。

負傷のため崖っぷちに立たされた『横綱・稀勢の里』を含め,『日馬富士』の沈没と
同時に,4横綱全員が,
あたかも,ミッドウェー海戦で沈没した四空母の如く,
全員沈没では『興業』自体が成り立たなくなる。
これこそ,正に「危機」管理委員会が問題視する,真の「危機」だ。

だから,『大横綱』が,ちょっとばかり,「秩序」破壊者に『ヤキ』を入れたからって,
大事な大事な「商売道具」(『横綱』)をツブスことはない。
所詮,大相撲なんて「見世物」なんだ。
「八百長」という言葉自体が,大相撲の本質を正解しない「無粋(ぶすい)」であって,
「野暮天」の言うことさね。
知能指数の低い相撲ファンの方々のために,「夢」を与え続けるのが,
大相撲「興業」であって,彼らを「幻滅」させないためにも,
司法も多少は譲歩して,事を穏便に済ませるべきだ。

要は,
「身も蓋もない」弁解をすると,こんなところかな。
あくまでも「忖度」であるが。