北口雅章法律事務所

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「鵜飼祐充裁判長ら」がくだした無罪判決の行方

  「鵜飼祐充裁判長ら」(名古屋地裁岡崎支部)がくだした無罪判決に係る刑事裁判事案(娘の「抗矩不能」に乗じた性交渉があったか否かが争点となった,準強制性交事案)について,その控訴審判決が,明日(3月12日)言い渡されるもよう。

鵜飼コートの裁判については,このブログでも
この準強制性交事件を含め2回ほど取り扱ったが,いずれもそれなりのアクセス数があり,
やはり,この準強制性交事件と鵜飼裁判長に対する世間の関心は高いようだ。

(過去のブログ)

標題1『「鵜飼祐充裁判長」への裁判批判を憂えるが・・・』
(2019-04-24)https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=5768

標題2『今回の「鵜飼祐充裁判官」の判決は,ちょっと重くないか?』
(2019-06-06)https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=6216

 

明日言い渡される予定の本件準強制性交事案の判決(第1審無罪)は,
結論的には,99.9%,逆転有罪になるであろう。

「鵜飼裁判長」に向けられた,「批判的世論」や,
マスメディアによる激しい「パッシング」の動向に,
名古屋高裁自体が,「敏感に反応しない」というわけがなく,
このような社会の趨勢に,裁判官自体が「抗矩不能」に陥っているものと推察されるからだ。

名古屋高検のバックでは,当然,本件準強制性交事案に関しても,
その控訴審での対応につき,林眞琴検事長が監督・監修されている。
名古屋高裁が,控訴審で新たに検察側が証拠申請した精神鑑定を採用した時点で,
ほぼ決着がついた,と言っても過言ではないであろう。

では,本件のごとく被告人が社会的批難をあびたというよりも,無罪判決をくだした裁判長が,社会から激しい誹謗中傷・パッシングを浴びた準強制性交事案について,
鵜飼裁判長や,弁護人らには,
控訴審での「逆転有罪」を阻止する手立てが,全く残されていなかったか??
といえば,・・・

もちろん「外野席」の一弁護士には,本事件を論評する資格などない。
が,少なくとも理論的・実務的には,
本件準強制性交事件については,
私は,第1審の「無罪判決」を維持する(控訴棄却判決を得る)余地も十分にありえたのではないか?と思う。
もしも弁護人らが,現実に,既に,次に述べるような主張をしていたにもかかわらず,
控訴棄却にならなければ,「逆転有罪は不可抗力だった」といえるが。

すなわち,一般に報道されているように,
本件準強制性交事案第1審でも,控訴審でも「抗矩不能」状態であったか否かだけが争点となっていたのであれば,控訴審での「逆転有罪」となることは避けがたいであろう。

しかしながら,
被告人が,当事者間の過去の実情を根拠として,
特に娘が拒んだときは,被告人(父親)が,常日頃,娘の意向を尊重し性交渉に及ばないように配慮していた旨の主張をし,第1審判決も認定しているとおり,実際にもそのような過去のケースがあったことを引き合いに出し,この点を強調した上で,このような過去の例から,
本件公訴事実の場合に関しては,
「同意があると信じて疑わなかった」
「抗矩不能とは夢にも思わなかった」
などと被告人に主張させ,「故意」を争ったとしたら,どうか?

名古屋高検としては,
精神鑑定により,被害者(娘)が客観的には「抗矩不能」状態にあったこと自体は,容易に立証できるであろうし,名古屋高裁も,その精神鑑定にのっかって,逆転有罪判決をくだすことは容易であろう。
しかしながら,被告人(父親)の認識・認容の有無は「娘の」抗矩不能状況の有無とは無関係の「父親の」内心の「心理的」事実(その評価)の問題であるから,上記精神鑑定の対象にならないし,「過去」の例との対比において,被告人には「故意」がなかったと弁護側から主張されたら,「『裁判官の独立』(憲法76条3項)の建前上は『世論』や,『最高裁事務局の意向』を忖度できない」名古屋高裁としては,身勝手で思慮に欠ける父親の無分別な心理状態として,一方的に「(娘の)同意」ありと誤診したことについて合理的な疑いが残るとの理由のもと,無罪の結論(故意責任の阻却)を維持せざるを得ないのではないか。

私は,控訴審で,弁護人らが,このような主張をしたか(『心理戦』を仕掛けたか)どうか知らない。

私が,もし第1審裁判長として,「世論の逆風」に抗して,無罪判決を書こう決意したのであれば,単に「抗矩不能」状態というには合理的な疑いが残るという理由だけでは,控訴審で覆る不安がある。そこで,その理由に加え,娘が「抗矩可能」な状態にあったと被告人が信じたとしてもやむをえない過去の実例・経過等から,被告人の「故意」を認定するには,なお合理的な疑いが残る,などと無罪理由をも手厚く加え,その判断の正当性を基礎づける事情をも詳細に判決文に書き残しておき,控訴審裁判官が原審の判断を覆しにくくしておく。もちろん,無罪判決を書くことを決意したら・・・,という仮定・前提のもとでだが。)

が,この事件は,事件の性格上,もし裁判官・弁護士が,職責を尽くして「無罪判決」を得る方向で頑張れば頑張るほど,「証拠関係を精査していない」世間や,『市民感情』を語る各方面から「袋叩き」にあうであろう。だからこそ,裁判所には,そのような世間から自らが糾弾されるような事態だけは避けたいという心理機制が働くであろう。裁判所の「体質」として。昔からよくある話だが。最近,とみにその風潮を感ずる。