北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

秋篠宮家は,小室家にくわれないか?(次世代の皇室を憂う)

先のブログで,田村淳氏が「死ね」という言葉を使わなくなった理由について,それが母親の強烈な教育効果の賜物である旨の紹介記事を紹介した。

実は,私にも似たような経験がある。
 昭和初期に戦前教育を受け,年老いた母は,既に忘れてしまっているであろうが,私が多感な中学時代,聞きかじった知識をもとに,母に対し,何気に「この民主主義の日本社会で,天皇制,って本当に必要なのだろうか?」と話したことがあった。一瞬,母の形相が変わり,「お前は非国民か!?」,「いつの間に,共産党員になったのだ!!」と,血相を変えて怒鳴られたことがある。

以来,私は,両親の前で天皇制の問題を語ることは避けるようになったし,その後,「三島由紀夫」や,太平洋戦争の「戦記物」を読むようになってからは,日本の文化的伝統や,愛国心の源泉に「天皇」の存在があることを学習した。そして,先般のあいちトリエンナーレ問題では,「昭和天皇をめぐるハラスメント」に加担した大村知事を最も激しく罵倒した弁護士は,他ならぬ私であろうと自負している。

さて,かねてより秋篠宮家と,小室家母子との縁談をめぐる「悶着」が,国家的・国民的関心を呼び起こし,「小室文書」に対する宮内庁長官の「的外れ」なコメント評価への反発等々と相まって,秋篠宮家に「赤信号が灯った」ことは周知の事実である。

「国民に祝福される雰囲気」は既に遠のき,このまま“成婚(あるいは事実婚)”に突き進めば,秋篠宮家は,小室家に「くわれてしまう」のではないかと憂慮される。
ここに「くわれてしまう」というのは,文字通り「呑み込まれてしまう」という意味ではなく,両家の「イメージ」が混淆すると,小室家に対し国民が抱く,どす黒い「イメージ」が,秋篠宮家に対する国民の「イメージ」を完全に凌駕し,秋篠宮家に期待される国民の「希望的なイメージカラー」が「小室色」に染まってしまう(変色してしまう),という趣旨だ。

「肌の色」と「イメージの色」とは全く異質なものだ。
「肌の色」を問題とすることは,「英国王室をめぐるメーガン発言」の例をもちだすまでもなく,タブーであり,不謹慎極まりないことである。これに対し,「天皇家・皇室」に日本国民が現に抱き,日本国家の文化的伝統として抱いてきた「純白な象徴的イメージ」を表立って議論することは,国民の総意である日本国憲法の理解にもかかわることであって,何らタブーではない。この「純白な象徴的イメージ」が,どこぞの「馬の骨」とまではいわないが,得体の知れない闖入者によって汚されることは,もはや「女系天皇制」容認論よりも,次世代以降の「天皇制」自体のイメージ色へのダメージが大きいのではないか。

K氏の母方の「叔父の素性」をめぐる「ウワサ」は,― その真否はともかく ―,そのような「ウワサ」が出たこと自体が既に由々しき重大問題であって(陰謀論の可能性が高いとはいえ),その潔白を,早期に客観的に証明しておかない限り,次世代以降の「象徴天皇制」にとって,致命的であろう。