北口雅章法律事務所

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岡口判事・分限裁判の最高裁決定は憲法違反ではないか

今般の最高裁大法廷決定は,岡口基一判事(東京高裁)のツイッター投稿の意味・目的について,
「私人である当該訴訟の原告が訴えを提起したことが不当であるという一方的な評価」を公表した,「裁判を受ける権利を保障された私人である上記原告の訴訟提起行為を一方的に不当とする認識ないし評価」を示した,などと一方的に断じたが,このような本件ツイッター投稿の「著しい曲解」は,おそらく最高裁独自の理解であって,岡口判事はもとより,私を含む彼の支援者は全く想定外の理解であり,支援者ら全員の口が大きく開いたのではないだろうか。現に,本件分限裁判では,岡口判事の本件ツイッター投稿が懲戒事由に該当しない旨を論証した憲法専門の複数の学者らが心血を注いで作成された,複数の意見書が最高裁に提出されているところ,公表された彼らの意見書を拝読した限りでは,彼の本件ツイッター投稿をもって,「上記原告の訴訟提起行為」自体を対象として,これに否定的評価を示したことを前提に論じた意見書ないし論者は皆無であったと記憶している。
 この意味で,最高裁大法廷の上記判断は,岡口判事に「不意打ち」を与えるものであり,「不告不理の原則」に反し,ひいては手続的正義に反するものである(憲法31条違反)。

 

山本庸幸判事,林景一判事,及び宮崎裕子判事の共同「補足意見」に至っては,論外だと思う。

第1に,当該「補足意見」では,岡口判事が「厳重注意を受けた」「過去のツイッター投稿」について,「それ自体で懲戒に値するものではなかったか」などと論難し,彼の「過去」を蒸し返した上で「もはや宥恕の余地はない」などと断定している。
 しかしながら,このような判示は,本件分限裁判の対象されたツイッター投稿とは「同一性を欠く」「過去の行状」を蒸し返すもので,明らかに不告不理の法理」(憲法31条)に反する。なお,不告不理の原則は,本来,刑事訴訟の関係で論じられる法理であるが,本件懲戒処分の如く重大な不利益処分についても妥当することは,寺西和史判事の分限裁判に掛かる最高裁平成10年12月1日の大法廷決定も認めるところである。

第2に,当該「補足意見」は,本件ツイッター投稿について懲戒処分相当性の根拠として,「the last storaw」 (ラクダの背に限度いっぱいの荷が載せられているときは,麦わら一本積み増しても,重みに耐えかねて背中が折れてしまうという話から,限界を超えさせるものの例え)を持ち出している。
 しかしながら,このような論旨では,山本庸幸判事らにおいては,本件ツイッター投稿について懲戒処分相当性の根拠として,過去のツイッター投稿の悪質性・非違性を考慮したことを「自白」しているものといわざるを得ず(これでは,本件ツイッターだけでは処分自由として根拠薄弱なため,過去に「不処分=不処罰」とした「余罪」を蒸し返し,これを根拠として[=他事考慮!],「余罪処罰」をしたに等しく),このような判断は,二重処罰・二重危険の禁止の趣旨(憲法39条)に明らかに反する。

以上の理由から,私は,現在の最高裁は,もはや「憲法の番人」を名乗る資格などない,と考えるものである。

 

[追記]それにしても,揃いも揃って「全員一致」の決定とは何事か。若手の憲法学者らの意見書の内容を尽く無視して,これに反した判断をしているというのは,いかがなものであろうか。個々の最高裁判事の全員が全員,最高裁長官以下,統制・統率された状況のもとで寄って集って「最初から結論ありき」集団的な「いじめ」をやっているといった印象を強く受ける。これは「人権の最後の砦」であるはずの最高裁判所の有り様,姿として,末期症状ではないか。