北口雅章法律事務所

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愛知県知事・大村秀章氏の「罪(欺瞞)」と「詰み」

あいちトリエンナーレの「物議・騒動」をめぐって
大村知事の主張・対応には,3つの「欺瞞(罪)」を指摘できると思う。

 

1.「検閲」概念の誤用政治的・イデオロギー的利用

 大村知事は,ご自身に対する河村市長の注意勧告憲法上の「検閲」に当たらないことが明白であるにもかかわらず,「憲法の無知・不勉強」からか「検閲」に当たると強弁し,「検閲」のもつ「負のイメージ」を河村市長になすりつけている(「検閲」概念の政治的・イデオロギー的利用(本件の場合,「検閲」を観念する余地がない理由について,一般読者のため,念のため説明しておくと,たとえ事前規制であっても,大村知事は「国家行政機関」ではなく,表現自体が全面的に禁止されるわけではない。公共施設での利用について,作品の内容が「公序良俗違反」であり,かつ,行政が「主催者」であることを理由に,愛知県が,その展示を断わることは何ら問題がなく,表現者=作家は,たとえ愛知芸術文化センターでの展示を断られても,自己の作品をそれ以外の場所で,自費で「自由に」表現できるからである。)
 もとより,河村市長の注意勧告が事後的な是正要求であって「検閲」に当たらないことは自明の理であるし,新聞紙上等で既に複数の憲法学者が「検閲」には当たらない旨を指摘している。それにもかかわらず,大村知事は,未だ自らの「検閲概念の誤用」を撤回せず,かつ,自らの判断・責任において「展示を中止」させておきながら,自らは実行委員会の会長として,監督不行届があったことについて何ら謝罪もせず,物議・騒動の勃発の責任の所在について,「検閲」という名の「負のイメージ」を河村市長になすりつけることで,責任転嫁を図っているように見受けられる。このような大村知事の態度は,「欺瞞」というべきである。

 

2.作品「焼かれるべき絵」の評価について,沈黙するのは「欺瞞」である。

 私自身は,昭和天皇の御真影・写真をバーナーで燃やし,靴で踏みつける状況を描いた作品焼かれるべき絵などは,「芸術」の名に値しないという理解である。ところが,驚いたことに,朝日新聞も中日新聞も,大村知事も,物議の対象は,あたかも「平和の少女像」が中心であるかのように大々的に主張・報道する一方で,上記作品「焼かれるべき絵」の評価はどうなんだ??!,という大多数の日本国民の疑問に全く触れず,ひたすら沈黙し続けている。
 朝日新聞は,8月10日の朝刊「耕論」で,美術家・美術評論家の黒瀬陽平の意見として,「対話を生み出すのが芸術」だとして,大村知事の対応を支持する旨の言説・評論を載せている。しかしながら,黒瀬氏の評論においても,「焼かれるべき絵」についての評価・言及はない。もちろん「天皇制」をモチーフとした作品があったとまでは言及されているが,当該作品の内容は,昭和天皇の御真影・写真を「バーナー焼き」で「焼毀(しょうき)」するとともに,その燃え殻を靴で踏みつける「足蹴」行為であって,これ自体が「日本国民の統合の象徴」に対する「暴力」「侮辱」「冒瀆」そのものである。いうまでもなく,「暴力」は,黒瀬氏のいう「対話」を破棄して「力づく」で自己の欲求・企図の実現を図るものであって,「対話」とは「対局」にあり「対話を生み出す」ものではありえない。つまり黒瀬氏の定義によっても,「芸術」ではありえないただただ,日本人・愛知県民の「心を傷つけ」,「魂を踏みにじる」ものである。
 このように日本人・愛知県民の魂を踏みにじる「非芸術」作品を,愛知県民の税金を支出して設立された愛知芸術文化センターを会場に使って,かつ,その運営資金として愛知県民・名古屋市民の税金(公費)を支出してまでも保護・支援するに値する「表現」なのか???。私は,これが本件「あいちトリエンナーレ」事件の核心部分だと考えているが,大村知事(朝日新聞も中日新聞も!)は,このような核心部分への言及がない。これに言及すると,自らの主張・意見の「分が悪くなる」からであろう。この意味で,大村知事が(朝日新聞・中日新聞も),「焼かれるべき絵」の作品評価を避け,沈黙するのは「欺瞞」以外の何ものでもない。

 

3.第3に,大村知事が,憲法の「表現の自由」を大義名分に掲げながら,脅迫犯の逮捕後も「表現の不自由展・その後」の「展示中止」を撤回しないのは実は,自身の「保身」が目的であって,「欺瞞」以外の何ものでもない。

 私自身は,上記のとおり昭和天皇の御真影・写真を燃やし,その燃え殻を靴で踏みつける状況を描いた作品「焼かれるべき絵」などは,「芸術」の名に値しないという理解であるが,大村知事は,韓国の政治的主張である従軍慰安婦像を模擬した作品「平和の少女像」等も含め,―愛知県民の税金を使って設立された愛知芸術文化センターを使って,かつ,愛知県民・名古屋市民の税金を使ってでも保護すべき―「表現の自由」の対象だという立場を表明している。
 もし大村知事の見解が妥当であるならば,脅迫状が届いたくらいのことで,愛知県警とも相談せず,自らの独断で安易に「展示を中止」した大村知事の措置の方こそが憲法違反であり,百歩譲って,「安全な展示」に支障が生じたという「保安」上の理由が「展示中止」の正当事由だというのであれば,脅迫犯が検挙された時点で,「展示中止」を解除して,展示を再開するのが道理であろう。
 ところが,大村知事は,「保安」上の問題が解決したにもかかわらず,未だ展示を再開していない。これは,展示を再開すれば,「大村知事の論法によれば」「必然的に」,―愛知県民の税金が投入された愛知芸術文化センターを使って,かつ,会場運営資金に愛知県民・名古屋市民の税金を投入して―,昭和天皇の御真影・写真を燃やし,その燃え殻を靴で踏みつける状況を描いた作品「焼かれるべき絵」の展示することになるのであって,大村知事の「良識」が問われることになり,ご自身の政治生命にかかわるからであると考えられる。つまり,大村知事が,「展示中止」を解除しない「真の理由」は,少なくとも現時点では「保安」上の理由からではなく(!!),反発必至の「焼かれるべき絵」等(「平和の少女像」も含む)の展示を許容したことについて,政治責任を問われることになるからであろう。換言すれば,大村知事が,「展示中止」を解除しない「真の理由」は,「保安」に名を借りた,大村知事自身の「保身」にあると考えられる。
 大村知事が,このように「展示中止の継続理由」を偽って公表し続け,展示中止を解除しない采配を講ずることは,「欺瞞」以外の何ものでもない。

以上の三点を根拠として,私は,大村・愛知県知事は「偽善者だと思う。
愛知県議会は,大村氏を県議会で聴聞した上で,辞職勧告決議をすべきであう。

大村知事からの反論があれば,どうぞ。

 

私は,「維新の会」の政策を必ずしも支持しているわけではないが,

この件に関しては,下掲・吉村知事の主張に同調する。

 

最後に,「表現の自由」を「錦の御旗」(大義名分)に掲げる大村知事に問う。

「焼かれるべき絵」と同様の表現方法で,「錦の御旗」を燃やし,その燃え殻を靴で踏みつける状況を描いた作品は,芸術か??