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「マネ」のできない「マネ」

美術史家の三浦篤先生(東京大学総合文化研究科教授)が,先日の朝日新聞(6月30日夕刊)で,「マネ」のことについて,書かれていた。

西欧近代絵画史を専攻された三浦先生は,
修士論文での研究対象を
マネの「フォリー=ベルジェールのバー」しようと決心し,
当時,パリで開催されていたマネ展に通い詰めたそうだが,
マネの絵については,
「難しいけれど面白い絵で,
その謎は『幸いなことに』未だに解けてはいない。とのこと。

これは,どのような情景を描いた絵なのか?

曰く「近代都市パリの美を切なくも凝結させたこの女性を,どうしても研究したかったのだ。」,「実は『フォリー=ベルジェールのバー』を,私はさまざまな機会に計10回は観ている。何度見ても飽きないのだ。」と。

で,これは,どのような情景を描いた絵と考えられたのか?,

三浦先生は,ご自身の論文研究の成果について,新聞紙上では言及されていないので,読者=鑑賞者各自が自分で考えるしかないが・・・。

「切なく」なるような美少女が描かれていることは感じられる。
が,この絵の構造は,残念ながら,私の理解を超えている

 思うに,バーテンダーを務める美少女のバックは劇場のようでもあるが,バーテンが,劇場内で,その二階をバックに立つわけがない。その二階では,オペラグラスを手にする貴婦人が描かれているので,何か演劇が挙行されているようにも見えるが,その観衆達は,必ずしも「舞台」に集中しているようには描かれていない。バーテンダーの女性の後ろ壁全体にミラーが貼られていていて,ミラーに観客席が映し出されているのだ,と理解すると,右横に描かれた後ろ姿の女性は,彼女の後ろ姿と理解できなくもないが,明らかにウエストが合致せず(シャンパンの瓶も非対称),右横の紳士の顔・位置が意味不明となり,別の女性が背中合わせに2人描かれており,右側の紳士の背部の位置にミラーがあると考えても・・・,やはり観覧席の向かい側に,バーの壁があるわけないでしょう? ということになって,異次元の世界が描かれているものと理解せざるを得ないことになる。なんだか,スタンリー・キューブリック監督の名作映画『シャイニング』に出てきた,ホテルのバーを思い出す(精神に異常を来したジャック・ニコルソンが扮する主人公が亡霊のバーテンに語りかけるあのシーンだ。)。三浦先生は,おそらく,マネが「ベラスケス」の「ラス・メニーナ」を意識して描いたであろうという前提のもとに分析されたのであろう,という予感はするが・・・。

三浦先生曰く「美術における名作とは何かと尋ねられたら,繰り返し見られることに堪える,という条件を挙げよう。見るたびに新たな発見のある,豊かなポテンシャルを帯びた作品を,私は傑作と呼びたい。」と。
なるほど,さすがに専門家の先生は的確なことを言われる。

梅原先生の著述(『歓喜する円空』)を想い起こした。
今,私は76年前の5歳の私に戻って,円空仏の写真を穴の開くほど毎日眺めている見るたびに必ず新しいことを発見し,円空の精神が見えてくるのである。」と(注:5歳児のとき,梅原少年は,当時の相撲力士の人気のプロマイドを毎日朝から晩まで穴の開くほど眺めていたとのこと。)。