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天智天皇の大殯(おほあらき)の時の歌

殯(あらき)」(=もがり)とは、死者のご遺体を棺に納めてから、墳墓に埋葬(=野辺送り)するまでの間、しばらく安置し、その棺の横で、近親者が死者の亡骸とともに過ごす時間のことを言う。

このように天智天皇の死後、「もがり(殯)」のとき、後宮の額田王が詠んだ歌が万葉集に遺されている(巻2・151)

最近購入した上野誠「万葉のびと、その生と死と」(NHKテキスト)
によると、次のように紹介されている。

かくあらむの 心知りせば
(天皇の心を知っていたのなら)
大御船(おおみふね)
(は)てし泊(と)まりに
(天皇の乗る大御船が停泊するその港に)
(しめ)(ゆ)はましを
(標を結ったたのに…(しかし崩御を止めることはできなかった))
[額田王]

この上野氏の注釈・理解に最も近いのは、
岩波書店「日本古典文学大系」だ。
「心」に相当する万葉仮名に「懐(こころ)」と書かれている。
しかし、天智天皇の「心」を知ったとて、本人がご自身の死期を予期しているわけではないし、いかなる心情を指しているのは意味不明である。そこで、岩波書店「新日本古典文学大系」を紐解くと、この「懐」(金沢本・類聚古集)の表記は、「豫(かねて)」(紀州本・古葉略類聚集)から変容して旨の指摘があり、もともとは「豫(かねて)」であったところ、このように理解した方が、次のとおり分かりやすく、首肯できる。

かくあらむ かねて知りせば
こうなるだろう(天智天皇が亡くなるであろ)と予め知っていれば
大御船 泊(は)てし泊(と)まりに
天皇のお乗りになる船舶が停泊するその港に
(しめ)(ゆ)はましを
[=占有の標示]を結って、天皇が御船に乗って、天路へ旅立たれないようにしたのに…

 

これに対し、
「新潮日本古典集成」の伊藤博先生(筑波大学名誉教授)の現代語訳・説明は、いかがなものか。

「こうなるであろう(天智天皇が亡くなるであろ)と予め知っていたなら、天皇の御船が泊っていた港に標縄(しめなわ)を張りめぐらして、悪霊が入らないようにするのだったのに。」(滋賀の都は琵琶湖畔にあったので、崩御が港から侵入した悪霊によるものと見て嘆いた歌)と説示されている。
しかしながら、天智天皇の死因が悪霊のせいだとする宗教観念が当時存在したのかは疑問であろう。蘇我蝦夷・入鹿を暗殺したことで、彼らから怨念・恨みをかったことは間違いないが、彼らを怨霊として鎮魂したなどという史実は聞いたことがない。むしろ、天皇は、「神」の子孫と観念された存在であって、神は、善・悪を超越した畏敬の対象であって、荒々しく祟りをなす存在でもある。このことは、神に掛かる枕詞である「ちはやぶる」に象徴される(例えば、万葉集・巻四-558)。

なお、額田王の上掲の歌は、天智天皇の死が、死期の接近が予め予見された衰弱死のようなものではなく、予期に反して、突如、死期が訪れたこと(ふと気づいたら亡くなっていたこと)を窺わせる。