北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

20年後の懺悔 ― 木曽川・長良川等連続リンチ殺人事件 ―

第1 はじめに

 平成23年3月10日,最高裁判所第一小法廷(櫻井龍子裁判長)は,
強盗殺人等の罪で起訴された犯行当時少年の,A・B・Cの3名全員に
死刑判決を下した名古屋高裁判決(川原誠裁判長)を維持する判断を下した。
(A・B・Cの略称は,下掲・最高裁判決に合わせる。)

 http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/410/081410_hanrei.pdf

 これが,世にいう「木曽川長良川等連続リンチ殺人事件」であるが,
Aら3名に対する死刑判決をもたらしたものは何であったか?

Aらには,誠に申し訳ないが,何を隠そう,
― 私をAの共同弁護人に指名してきた主任(H弁護士)は忘れていると思うが ―
実は,“私の判断の甘さ”に原因の一端があったことを,懺悔・告白せねばならない。

 何処で,どのような悪条件が重なって,事件全体の流れが,
 当初私の念頭にあった目論見と筋書から大きく外れてしまい,
 事件の全体像があそこまで極悪非道なものに歪められてしまったのか?

  「犯行時少年らの犯罪心理」を全く理解しようともせず,
 非常にレベルの低い事実認定を前提とする上記最高裁判決を読み返すたびに,
 私は,第1審のAの国選弁護を担当した一弁護士として,
 腑(はらわた)の煮えくり返る思いを,今でも抱かざるを得ない。

そこで,

 当時の記憶を思い起こしつつ,
「結果として」判断を誤った「私の」計略を回想しておきたい。

(かれこれ20年以上も前の事件であり,
 私自身,詳細は忘れてしまっているのみならず,
 記憶に歪みが生じている可能性を否定できないが,
 印象に残る事件ではあるので,とりあえず思い出すままに書き出しておいて,
 機会があれば,後日,手控えメモをもとに修正したいと思う。)

        *      *      *

第2 痛恨(?)の判断

私が未だ弁護士になりたてのイソ弁時代,
麻雀仲間のH弁護士(修習同期)がめずらしく,
私からの麻雀の誘いを断ったことがあった。
「今日は,ダメだ。ちょっと大きな事件を抱えて,いずれ君にも相談する。」と。

  後からわかったことであるが,
  H弁護士は,偶々当番弁護で,
 当時,新聞紙上の社会面を賑わしていた「連続リンチ殺人」

    のAの接見担当となり,その後も,

     何度も接見(警察署での面会)を重ねているところであった。
  当時は,捜査段階(起訴前)での公選弁護人制度はなく,
  法律扶助協会も,複数名での弁護活動は認めていなかったと記憶している。

  ABC3名は,犯行当時,暴力団組員Xの配下に所属していたが,大阪から暴力団組員Xが派遣してくる弁護士Yが,時折接見にきていた。
  そして,
  BCが名古屋弁護士会から派遣されてきた当番弁護士と接見したのは,1回限り
  であったのに対し,Aだけは,H弁護士が,Aとの接見を継続し,
  信頼関係を築きつつあった。

 

 

 

 

 

 

あるとき,H弁護士は,私に対し,
「連続リンチ殺人事件」について,
Aから起訴前刑事弁護を受任し,接見を継続させていること,
各犯行の実情や,弁護士Yのこと等を話した上で,
「いずれ逆送されるだろうから,そのときは,共同弁護人として受任してくれないか。」
と相談してきた。

これに対し,私は,
「犯行態様が悪質だし,極道だろう? 事件が大きく重いので,大変だよ。
 極道の弁護士Yが大阪から来ているんだから,彼に任せればいいじゃないか。
 こんな事件,H先生がやるべき事件ではないと思う。
 膨大な時間とエネルギーを消耗するよ。」
と言って,一旦は断わろうとした。

が,H弁護士は,怯(ひる)まなかった。
「いや,Aは暴力団組織から脱会する,といっている。
 もっとも,死刑の可能性があるので,極道への帰属は,もはや関係ないが。
 ただ,あのY弁護士は,Aらのためにではなく,極道Xのために,
 監視に来ているだけのような気がする。
 Y弁護士では,犯罪事実を,起訴状どおり全部認めさせて終わらせるだろう。
 多分,まともな弁護活動などする気もないであろうし,できないであろう。
 だからこそ,Y弁護士がついているからといって,Aを放置するのは,
 弁護士の職責としていかがなものかと思う。」
 などと『正論』を吐かれてしまった。
 そして,H先生の直感は,正しかった。

その後,まもなくの時期だったと記憶しているが,
私は,H弁護士から,Aのことで,要旨次の相談を受けた。

「Y弁護士が,大阪からやってきていた理由がわかった。
 Aらは,木曽川河川敷で1名,長良川河川敷で2名の被害者を死亡させているが,
 実は,もう1名,大阪で『首を絞めて』殺害しており,
 高知県沿岸の沖合で,その死体を遺棄しているとのことだ。
 大阪事件の発覚を恐れて,Aらは,Aの郷里である愛知県に逃げてきた。
 Aは,『死体遺棄には,親分Xもかかわっており,Xに迷惑がかかるし,
 自分も狙われることになるから,未だ警察には自白していない。
 ただ,このまま黙ったままでよいものか,A自身も迷っている。』という。
 どうだろう。弁護人として,自白を勧めた方がいいのか。それとも,
 大阪の件は,未だ発覚していないのだから,
 このまま黙秘させたままの方がいいのか,
 北口君はどう思うか?」と。
 なるほど,このような背景事情があれば,Y弁護士が,極道Xから派遣され,
 わざわざ大阪から定期的にくる理由も納得できる。
 捜査の動向を探るべく,監視・偵察に来ていたというわけだ。
 この大阪での殺害事件が,後に「大阪事件」と呼ばれる殺人事件である。

                *    *    *

 この時,私がH弁護士に対し,どこまでの発言をしたのか,詳細な記憶はない。
 しかしながら,私の回答(目論見)の要旨は,次のとおりだった。

「勿論,自白させるべきだ。
 Aに対し,真摯な反省の態度を示させるのが弁護人の務めだ。
 大阪の殺人事件を自白すれば,極道Xに累が及ぶであろう。
 しかしながら,われわれの第1の職責は,死刑回避だ。極道Xを裏切り,
 組織から狙われるといったって,無期懲役『以上』は確定しているのだから,
 そんなことを心配するのは問題外だ。
 むしろ,大阪の殺害事件を真っ先に自白させることによって,
 A自身,暴力団組織との訣別の覚悟がつくであろうし,
 真摯な反省の態度を捜査機関にアピールすることができる。
 たしかに,大阪での殺害事件を自白するとなれば,
 人命被害が1名増えて,4名になるうえに,
 犯行態様が二人掛かりの『絞殺』だから,この点は殺意を争う余地がない。
 しかしながら,大阪の殺人事件の方は,まだ,捜査機関に知れてないんだろう。
 『自首』(刑法42条)が成立するのではないか。だったら,減軽されるはずだ。
 それに,他の3名の死亡者(木曽川事件・長良川事件)との関係では,
 『無我夢中で,パイプで滅多打ちしているうちに,やり過ぎた。』
 というなら,
 所詮,傷害致死か,せいぜい強盗致傷だろう。
 さらには,長良川河川敷の件(長良川事件)の方は,
 AとCが,2名の被害者を競うようにパイプで滅多打ちにした,
 というのだから,Aが,長良川河川敷で死亡させたのは,実質的には1名だ。
 だから,Aの行為による実質的な死亡被害者は,
 木曽川河川敷での1名,長良川河川敷での1名の計2名だし,
 いずれも殺意を争う余地が十分にある。
 であれば,確信的殺意をもって4名を殺害した『永山事件』とは性格が違し,
 永山よりは犯情は軽い。所詮,少年事件だ。
 大阪の殺害事件を自白させても,死刑を回避できる可能性は十分にあるのではないか。」
と。

かくて,Aは,大阪・殺人事件を自白し,極道Xは逮捕されたが,
この結果,Aがかかわった一連の犯行の死亡被害者は4名となった。

「あのときの私」が,仮に「今の私」であり,H弁護士に対し,
要旨次の回答をしていたら,Aらは,どうなっていたであろうか。

「黙秘権は,被疑者・被告人の権利だ。
 死亡被害者が,3名と4名では,格段に犯罪の重みが違ってくる。
 しかも,連続犯だ。
 刑事裁判官の全員が有能だとは限らない。これだけ世間を騒がせた大事件だ。
 被告人3名のうち最低限1名は,『見せしめ』のために死刑判決を
 くださないことには世論が納得しないであろうと考える裁判官に当たることも,
 当然に念頭におくべきだ。何故ならば,現実問題として,
 世論に迎合的な刑事裁判官が,少なからず存在することは厳然たる事実だ。
 となれば,主導的立場にあり,最も犯情が思いAが,
 死刑判決を受ける可能性が格段に高くなる。
 H先生,われわれは弁護士であり,刑事弁護人だ。
 ここは,被疑者・被告人の利益(『死刑回避』)を最大限に考慮して,
 少しでも死刑の可能性を減らすこと,即ち,可及的な『死刑回避』のため,
 黙秘を勧めるのが,弁護人の職責ではないか。」と。

(私がその後に経験した数々の刑事弁護事件において,
 刑事裁判官に裏切られ続けた今の心境からすれば,
 バランスをとるべく,黙秘を進めたことも十分に考えられる。)。

このような将来の共同弁護人の強い意向を配慮して,
H弁護士が,当時未だ自分では判断のつかない未成年のAに対し,
黙秘を強く勧めていたら,この事件はどうなっていたであろうか。
大阪事件は,発覚しなかった可能性が高い。
たとえ極道の弁護士Yと連携することになっても,
『死刑回避』との究極の目的のためには,B・Cへの口封じもやむをえない,
という判断に至った可能性がないとはいえない。

そうなれば,大阪事件は立件されることもなく,闇に葬り去られた可能性が高い。
しかして,確定的殺意があったとは言い難い木曽川・長良川事件だけで,
(Aの場合,津島事件という強盗致傷事件も加わるが,死刑選択には関係ない。)
検事・判事らは,Aらを死刑にできたであろうか?
H弁護士から相談を受けて,
まだまだ経験が浅く,未熟であった私が,前記回答をしてしまったことにおいて,
Aらには,「結果として」誠に申し訳のない働きかけをしてしまった
ことになるのではないか? あくまでも結果論であるが・・・。

              *     *     *

第3 刑事弁護活動と第1審判決の実情

Aに対し,「大阪事件の黙秘を強く勧めなかったこと」についての
否定的評価はひとまず措くとして,
 第1審での弁護活動は,ほぼ理想的・模範的(?)に展開できたものと自負しているが,刑事裁判においては,想定外の事態・認定に至ることを嫌というほどに思い知らされた。平成6年10月に始まり,平成13年7月9日の判決宣告に至る約7年弱に及ぶ弁護活動は,それだけで一冊の本が書ける程に複雑な展開を示したが,私の当初の目算が外れた原因と経過について,三点ほど略述しておきたい。

1.犯罪心理鑑定の取扱い

 第1に,われわれが,第1審での弁護活動の中核に据えたのは,犯罪心理鑑定であった。

   臨床心理学者の加藤幸雄教授(日本福祉大学社会福祉学部。後に学長・名誉教授)に

   犯罪心理鑑定を依頼し,少年保護記録,面談調査等を含め,

   暴行がエスカレートしたABCらの心理機制を綿密・的確に検証していただき,

  木曽川・長良川連続リンチ殺人事件では,Aらに「殺意がなかった」ことを立証したのだ。

 
    ところが,第1審裁判所は,加藤教授の心理分析の趣旨を概ね取り入れ,

    少年らの「虚勢をはる心理も混じって声高に激化した言動をする者に影響され,

   相手に弱みを見せられないという少年期特有の心理状態」も手伝い,

   「最悪の結果を招いた」ものと認め,一連の犯行の本質については,

   「知的,情緒的及び社会的未成熟な少年が必ずしも統率されない集団を形成したことによる,

    短絡的,場当たり的な犯行という面を有している」とまでは認定したが,

    それが情状面でしか活かされず,

   各被害者らの重篤な状態から,それを認識していたAらの「殺意」を認め,

    長良川事件での強盗殺人罪を認定してしまった。

 

2.医療過誤事件を手掛ける弁護士の面目躍如(?)

第2に,木曽川事件の方は,「医療」面での「隠し球」を炸裂させたことが,
第1審では奏功した。検察官が,公訴事実として殺人罪を主張したのに対し,
裁判所は,「殺人の実行行為」についての証明がないとして,
傷害致死罪の限度でしか罪責を認めることができなかったのだ。

具体的な策略・経過は次のとおりだ。

 すなわち,Aらの犯行のうち,木曽川事件とよばれる事案の骨子は,
Aらが,シンナー吸引により酩酊状態にあったシンナー仲間のVをボコボコに殴打し,
木曽川左岸堤防上で,起居不能状態に陥ったVを
堤防上から堤防斜面を河川敷に向けて蹴り落とし,
雑木林の中に放置した上で逃げ去り,
そのまま死亡させたという事件だ。
(Vは,その後,雑木林の中から白骨死体で発見された)
この木曽川事件については,実は,ABC以外にも,
何名か共犯者が関与しており,そのうちの共犯者Dの審判(少年事件)が先行していた。

私が,Dの付添人弁護士からDの審判書を入手したところ,
なるほどという注目すべき犯罪認定がなされたいた。
具体的には,Dの審判書にみる裁判所の判断によれば,
Aらが,既に瀕死で起居不能状態に至っていた被害者Vを
堤防上から堤防斜面を蹴り落としただけでは,Vの「死期を早めた」とはいえない。
したがって,Dらに当該「作為」と死亡との間に因果関係は認めれず,
「作為」の殺人罪は成立しない,というのだ。
これに対し,検察官が予備的訴因として掲げていた「不作為」の殺人罪,
すなわち,Vを先行行為=傷害行為により,救護すべき保護責任のあったDが,
Vの救命措置をとらず,Aらとともに,その場を逃げ去った放置行為については,
もしその場で,ADらが,119番通報しておけば,救急車が現場に駆け付け,
Vを尾西市民病院に救急搬送していれば,脳神経外科手術(開頭による血腫除去)
が行われたはずであり,このような救命措置によって,
Vを救命できた可能性が高い。
したがって,そのような救護措置(119番通報)を怠ったという「不作為」と
死亡との間には,因果関係が認められる,というのだ。
 Dの審判書では,このような理由のもとに,
 Aらの放置行為(不作為)による殺人が認められていた。

 私は,この審判書を読んで,密かに救急医療体制に関する検察側立証の
「盲点」を付く「秘策」(?)を発見していた(後述)。

 そこで,Aらの第1回公判では,まずは,起訴状の内容について,
 弁護側から検察官に対し,求釈明を行った。
 木曽川事件の殺害行為(実行行為)は,作為か?不作為か? と。

 これに対し,Aらの公判担当検事は,前記審判書の内容を読んでいなかった,
とみえて,弁護側からの上記求釈明に対し,「遺棄行為」という「作為」による
殺人罪だと釈明した。そして,論告(第1審の終盤)まで,
「遺棄」(作為),即ち,堤防の上から堤防斜面を河川敷に向けて蹴り落とすなり,
地面を引きずるなどしても,Vの「死期を早めた」ことにはならない,という
Dの審判書の結論に気付かなかったのであった。

 これに対し,弁護側は,当然,弁護側は前記審判書の判示内容を援用して,
「遺棄」という「作為」では,被害者(V)の「死期を早めた」とはいえず,
行為と結果との間に因果関係は認められない,という主張を展開した。

ところが,検察官の論告求刑後の段階に至って,「ドタバタ劇」が生じた。

裁判所が,検察庁に何らかの示唆(例えば,「作為犯では因果関係に難がある」とか。)をしたとしか思えないのだが,
突如,検察官が,予備的訴因として,「不作為」(放置行為,救護義務の懈怠)
による殺人罪を追加的に主張してきたのだ。

しかしながら,
検察官が「不作為」による殺人を主張するには,
Dらの審判書にもあるとおり,
AらがVの救護措置(119番通報)を講じていれば,
尾西市民病院に運ばれ,脳神経外科における開頭術によって,
頭部外傷に伴う血腫を除去し,血腫による脳の圧迫を解除することで,
Vを救命できたことを証明しないことには,
Aらの「不作為」(Vを放置したこと)と死亡との因果関係は認められない。

このような検察官の「土壇場」での追加主張は,
実は,私にとっては,「想定内」の行動であって,
この主張に対しては,既に対抗措置を準備し待ち構えていた。

実は,Aらが,Vの放置場所である木曽川河川敷から,
Vを尾西市民病院に救急搬送したと仮定しても,
当時,尾西市民病院には,「脳神経外科」という診療科目がなかった。
したがって,「開頭手術」などできるわけがない。
私は,このことを,「愛知県勤務医師名簿」をもとに立証した。
(平成13年当時は,まだ私はインターネットを使っていなかったと思う。)
これで検察側の「不作為と死亡との因果関係」の立証は「万事休す」である。
裁判所としては,その因果関係を認めるわけにはいかず,
したがって,本件での不作為(放置行為)は,作為による殺人の実行行為
(生命侵害に至る具体的・現実的な危険性を備える)との「同価値姓」がない,
との理由から「殺人の実行行為」さえも認められない,と判断したのであった。

ちなみに,このような弁護活動を思いつく背景には,
ある程度の医療訴訟の知識をもっていたことがある。
具体的には,名古屋地裁平成3年3月4日判決(深夜交通事故により受傷した,
救急患者に対して脳神経外科が専門でない当直医の取った措置を患者が急性硬膜外血腫
により死亡した結果との間には因果関係がないとされた事例)を知っていたことが,
上記反論・着想の基礎にあった(判例時報1396号106頁以下参照)。

この結果,Aらの罪責のうち,殺人被害1名分が減ったことになる。

(ところが,この点の認定については,後に検察官からも控訴があり,
 控訴審では,検察官は,主張方法を若干変えて,放置場所から,
 直接,一宮市民病院に救急搬送すれば救命できたはずだ,という具合に
 主張事実を変更したために,結局は,殺人が認められてしまったようである。)

 

3.大阪・強盗殺人事件の「自首減軽」は,何故認められないのか

 前記のとおり,私は,「自首減軽」が認められるであろうという「甘い予測」のもと,
捜査段階でのH弁護士からの相談に応じ,Aに対し,大阪事件を自白させるよう,
アドバイスしてしまっていた。
 ところが,第1審判決は,大阪事件に関するAの自白について,
「Aが木曽川事件,長良川事件の取調を受ける過程において,その事実を
明らかにしたことにより捜査機関に発覚し,死体が発見されるなど捜査が進展
したものであって,自首が成立すると認められる。」と判示しておきながら,
適用法令に刑法42条をあげず,「刑の減軽」について全く触れていなかった。
つまり,「自首」の点は,「結果として」Aの量刑には反映されていなかった。
この意味でも,私としては,Aに対し申し訳ないことをしてしまったのではないか?
と今でも心が痛むのである。

 

<余談>

1.本件で最終の弁論要旨を書いたときは,刑事記録が1本箱・全棚全部を占めた。
2.本件の国選報酬額は,- 死刑判決であったにもかかかわらず -
  おそらく空前・絶後の破格であった。
 (約7年間弱付き合ってきた被告人が,最後に裁判長から
  「死刑!」と宣告されたときは,わがことのように心が痛んだが,
   多分,かかる精神的ショックへの慰謝料を含んでいるようにも思えた。)
  そういえば,毎年4ヶ月毎,法廷見学の修習生2名の顔ぶれが変わってたっけかなぁ。