北口雅章法律事務所

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「ガーストアルバイター(Gastarbeiter)」の国、ドイツの現実

大学教養部時代、ドイツ語選択だった。
たしかドイツ語の教科書に「ガーストアルバイター(Gastarbeiter;外国人労働者)」という言葉が出てきて、講師の先生から、ドイツ人は、ドイツに出稼ぎにくる外国人のことを「Gast(ガースト;お客さん)」と呼んでいるのだ、と習った覚えがある。

9月10日の朝日新聞の記事(「極右台頭…」)のことが頭にあって、あの当時のことを想い出し、「ガーストアルバイター(Gastarbeiter)」と呼ばれる外国人労働者について調べてみると、ドイツは、第二次世界大戦後、労働力不足を補うために二国間協定を締結して「ガーストアルバイター(Gastarbeiter)」を受入れてきた、という。最初にイタリア(1955年)、その後、スペイン、ギリシャ(ともに1960年)、トルコ(1961年)、モロッコ(1963年)、ポルトガル(1964年)、チュニジア(1965年)、ユーゴスラビア(1968年)と順次協定を締結し、1967年までの間に「ガーストアルバイター(Gastarbeiter)」の数は、180万人へと増加していき、1973年の石油ショック以降、ガストアルバイターの受け入れは停止された。彼らは、あくまで一時的な労働力として自国へ帰ることを前提に受け容れられたが、その後、協定によって多くはドイツに残留した。そして、多くの「ガ-ストアルバイター(Gastarbeiter)」は、ドイツ人が嫌がる仕事(石炭採掘やゴミ収集等)を担ったが、低賃金と失業率の高さから、ドイツ社会と一線を画する外国人の下層階級を生み出すことになった(独立行政法人労働政策研究・研修機構)。

ところが、現在、ドイツが抱える外国人問題は、それとは質的に異なる。
2015年以降、内戦が激化した中東や、アフリカからの難民を、メルケル首相が「人道的観点から」受け容れ施策をとったことに起因する。かくてドイツは、昨年末の時点で1405万人もの「外国人」が暮らす移民大国となったのだ。

ここで、藤原正彦先生のエッセイ集「失われた美風」に書かれていたドイツの現実のことを想い起こしたので、もう一度、紐解いてみた。
曰く「ほぼ毎年、ヨーロッパを訪れているが、治安の悪化が著しい。…」で始まり、
十年ぶりのミュンヘンも様変わりしていた。街路樹の下で三十代であろうか、ジーンズの男女が意識不明で横たわっている。横の男が『麻薬だな』とつぶやいた。じっと見ていたら、身なりの崩れた中年女が聞いたことのない言葉で私に何か毒づいた。ドイツでは移民によるドイツ女性の集団レイプや、ドイツ人による難民キャンプへの放火などもしばしばだ。帰りのミュンヘン空港で当地に長く住む日本人に街の変貌について話したら、『ここ数年で一変しました。人々は余裕を失い、ギスギスして笑顔をなくしてしまいました』と目を落とした。」
「…。治安の悪化ばかりではない。低賃金労働者は職を奪われ、賃金のさらなる低下に苦しむことになった。税金をほとんど納めない外国人労働者のための失業対策、住宅対策、言語教育などの費用が嵩む。国や地方自治体は悲鳴を上げている。やがて年金や参政権も問題となろう。その国ならではの文化や伝統も傷んで行くだろう。全ヨーロッパには悲鳴と絶望が渦巻いている。
…わが国には2015年だけで39万人の移民が入っている。すでに独米英に次いで世界第四位の隠れ移民大国だ。」(2018年11月8月号「日本がなくなる」週刊新潮より)。

「石バカ=スンズロウ路線」では、日本は、日本でなくなる。

Can I take a picture
       of your Mädchen(娘)?

ドイツ語混じりのいかがわしい英語で尋ねると、
ニヤッとして、お嬢ちゃんにポーズをとらせくれた、ドイツのご婦人。
あの頃[30年前]のドイツは、もう存在しない。
 あの時のMädchenも、もう30代半ばか…

 

何が「極右」か!?
ドイツのための選択肢(AfD)」のスローガン
今こそ再移住を(=今こそ、母国に帰れ!)」は、
至極真っ当な主張ではないか。