弁護士のブログBlog
中国人の歴史的影響力(黒死病,生物兵器等)
- 2020-04-27
昨今のコロナウイルス問題を機に,既に忘れてしまっている「黒死病(ペスト)」の歴史を復習すると,中国人の影響力の凄まじさには,今更ながら戦慄する。学生時代の自分自身の理解力が乏しかったこともあるが,高校で教わる大学受験向け「歴史」が,いかに無味乾燥で,表面的なものであったか,と思い知らされる。
疫病(ペスト)流行の歴史は,細かくはいろいろあるが,中世最大級の「黒死病」大流行は,1347年から1351年までの約4年間で,「この大禍の原因も,やはり中国にあったのだ。黒死病は,1330年代初頭に湖北省で発生し,1350年代には8つの省に広がっていた。それを西に運んだのは,シルクロードを行き来したモンゴルの商人だったと考えられている。」
(クリストファー・ロイド「137億年の物語」。以下,同著からの引用。)
■「1346年,・・・彼ら(モンゴル:キプチャク・ハン国)が用いたのは,史上初の,しかも非常に致死性の高い生物兵器だった。」具体的には,疫病で死亡した兵士の遺体を,城壁越しに敵方(クリミア半島の港町カッファー)のジェノヴァGenova人=イタリア人達に投げつけ,イタリア人に疫病を感染・流行させたのだ。
■「ジェノヴァ人が船で故郷に帰り着いたとき,乗っていた人のほとんどは死んでいたが,この致命的な疫病を祖国に広めるのに十分な数は生き残っていた。その結果,続く3年間で,ヨーロッパでは,4000万人以上が亡くなった。実に,総人口の半分以上である。」
■「1348年から1375年までのヨーロッパの平均寿命は,わずか17歳だった。」
「ヨーロッパの君主たちは,弓兵隊に代わる新たな戦闘方法を渇望していた。長弓を使いこなすには,強靱な体力と数年におよぶ訓練が必要とされたからだ。そうした悩みがあったため,中国で発明された究極の殺傷力を持つ兵器は,中世ヨーロッパという舞台でおおいに活躍することとなった。」これが「火薬」だ。
(※原爆に較べれば,かわいいものだが・・・)