北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

オウム真理教と,ある哲学者のこと

朝日新聞の「オウム裁判終結へ 高橋被告の上告棄却 最高裁」(2018年1月20日)
と題する記事,具体的には,「地下鉄サリンや松本サリン、弁護士一家殺害などオウム真理教が起こした一連の事件の刑事裁判がすべて終結する。最後となった元信徒・高橋克也被告(59)について、最高裁第二小法廷(菅野博之裁判長)が18日付の決定で上告を棄却した。」
との新聞記事を踏まえて,

昨日(平成30年1月21日)の「天声人語」は,

冒頭,「地下鉄サリン事件の翌年,哲学者の森岡正博さんが著書で述べていた。
『私には,一歩間違えれば,オウム真理教に入っていたかもしれないという切迫感がある』。麻原彰晃なる教祖が座禅で空中に浮揚する。そんな写真の本を書店で見つけ,興奮したことがあると▼立ち読みにとどめたのが自分で,買って熟読したのが信者だと書いている。犯罪を引き起こした彼らと自分の間に,どれだけの違いがあるか。そんな自問である…」に始まる。

なにげない文章であるが,
「哲学者の森岡正博」という人物を知っているか否か
「麻原彰晃なる教祖が座禅で空中に浮揚する。そんな写真の本」を実際に書店で見たことがあるか否かで,上記の記述内容への共感度,心に響く度合は,大きく違ってくるのではないか。

(私などは,オウム真理教で無期懲役となった「林郁夫」の自伝を読むと胸が痛む。)

あの当時,私も,大学生で,「田舎から」上京して,東京でフラフラしており,
確か神田の「三省堂」か「書泉グランデ」あたりで,下掲写真が表紙に掲載された麻原の本が店頭に平積みにされているのをみて,これを手に取ってみた覚えが確かにある。が,私は,既に「宗教」には「免疫」があった。このため,森岡先生と同じく「立ち読みにとどめた」ことで,なんとか難を免れた。(あの当時,司法試験になかなか合格せず,創価学会に入信した女学生のウワサ話を聞いたことがある。)

一方,「哲学者の森岡正博さん」は,
現在,早稲田大学人間科学部教授とのことであるが,哲学の世界で,どの程度の権威があるのかは知らないし,私は,彼の著書を読んだこともない。
ただ,昔,読んだ雑誌(朝日新聞社「論座」2000年8月号)で,

当時問題となった「臓器移植法の改正」をめぐる,森岡先生(当時,大阪府立大学総合科学部教授)と町野朔先生(上智大学元教授・刑法)の対談を読んで,森岡先生の見解の方に,痛く共感した覚えがある。それに引き換え,町野先生の見解,ってなんじゃいな?
倫理の一線を超えてないか?,と恐ろしさを覚えたものだ。

<以下,引用>

-(司会)町野さんは,書面で臓器提供にイエスの意思表示をしていないことが,本人にとっては「提供しない」という意思表示である可能性があることは認めますか。

町野  認めません。私は,本人が臓器提供をノーと言っていない以上、イエスも言っていないにせよ,摘出することが許されるという考えです。それは自己決定権の侵害にならないからこそ許される。
(WADASU:エエッ???
・・・〈中略〉・・・
森岡  書面でも口頭でも意思表示をせずに臨床的な脳死状態になった人が,実は断固たる拒否の意思を持っていたというケースはあると思うんです。町野案ではそういう人であっても,臓器を取ることが許される。非常に危険です。
(WADASU:そうだよなぁ

-(司会)先ほどのお話にもありましたが,町野さんは,昨年の研究班の報告書のなかで,「我々は,死後の臓器提供へと自己決定している存在である」と言っておられますが,なぜそう言い切れるのでしょうか。

町野   言い切れないなら,ぼくは提供を認めるべきじゃないと思います。われわれへの批判として,要するにこの問題は,存在と当為(とうい),つまり,「あること」と「あるべきこと」を混同しているという指摘があります。これはひとつのポイントです。つまり,「『人間は臓器提供によって自己決定している存在である』と町野は言う。しかし,それはおまえの人間観を人に押しつけているだけじゃないか,多くの人はそうではないのだ。だからそれはやはり一種のファシズムである」と。ただ,ファシズムかどうかは別として,価値はやはり,押しつけるものだと私は思います。
 (WADASU:ハア???
・・・〈中略〉・・・
森岡  脳死の問題で幾つかの考え方が社会に投げ出されたときに,いろんな場面でそれはどういうふうに受け止められるか,そして,そこからどういう価値が現れてくるかということがむしろ問われているんだと思います。人間とは,「死後の臓器提供への自己決定している存在である」というお考えは,社会哲学としてあまりにも浅薄で,私はとまどってしまいます。
(WADASU:そうだ,そうだ!

 

森岡先生の論説を読むと,私の倫理感覚と一致するため,ほっとする。
(ちなみに,森岡先生とは同世代だと思うが,同先生の方が,2歳年上。)
が,現実の臓器移植法は,森岡先生が考えるようにはなっていない。

*追掲(2000年(平成12年)7月5日 朝日新聞より)