弁護士のブログBlog
大正時代の秀才たち―華麗なる交流関係
- 2025-06-22
三島由紀夫旧蔵の写真の中に「旧制1高・独法科」の卒業記念写真(大正6年撮影)がある。旧制第1高等学校は、立身出世主義を称揚された、日本最高峰の学歴エリート達が集うナンバースクールであった。この旧制1高の入試に1番で合格し、首席で卒業されたのが我妻栄先生(元東京大学法学部・民法教授)。
七戸克彦先生(九州大学教授・民法)の論稿的資料「我妻栄の青春」を読むと、個性豊かで、著名なお友達が次々に出てくる。
前掲・卒業記念写真の2列目・右側の交友関係に着目すると…
2列目の右端・紫○が我妻栄先生
3列目の緑○が、「平岡梓」氏。三島由紀夫(本名:平岡公威)の父である。
2列目右から3人目の黄○が「田代重徳」氏、
同列4人目の青○が「斎藤直一」氏
同列5人目の赤○が「金田一(きんだいち)他人(おさと)」氏
我妻先生の長男・洋氏によると、
我妻栄先生が第1高校に入学した当時、東京一中(現:日比谷高校)や四中(現:戸山高校)出身の秀才達が、外国の哲学書の名を口にしたり、如何にも人生の真理をわきまえた風であるのに圧倒されたが、そのうち、我妻先生は、彼らの思想が案外底が浅く、その理解も生半可であることに気づいた。これに対し、「都会風に洗練され、貴公子然として、軽薄さや小利巧さのない人物」それが「斎藤直一」氏と「田代重徳」氏だった、と、父(我妻先生)が語ったという。
「斎藤直一」氏は、大阪高裁長官を退官された後、弁護士になられたが、三島由紀夫が有田八郎(元外務大臣)をモデルとした小説『宴のあと』を発表した後、有田氏からプライバシー侵害で訴えられた、いわゆる「宴のあと事件」で、第1審で被告三島側が敗訴した後の、控訴審で三島由紀夫を弁護したのが「斎藤直一」先生とのことで、どうやら斎藤先生のご活躍で、東京高裁での和解が成立し(昭和41年11月)、現在われわれがモデル小説『宴のあと』を読めるのは、斎藤先生のお陰らしい。
「田代重徳」氏は、東京帝国医科大学の田代義徳教授(整形外科学)の二男で、同級生の岸信介(元首相、亡安倍晋三の祖父)によると、
岸らが田代の家を訪ねて
「おーい、ジュウトク(重徳)いるか」
という呼び出しをしたら、きれいな女中さんが出て三つ指をついて、
『あのー、シゲさまございますか』
とこういわれたのです。それから帰ってきて、
『おい、田代はあれでシゲさまなんだぞ』といって話したことがありました」
という家庭であった、とのこと
そして、七戸先生の論文「我妻栄の青春」に頻繁に登場する人物が、
上掲・写真赤○の「金田一(きんだいち)他人(おさと)」氏
「金田一他人」氏は、大正3年、旧制・盛岡中学(岩手県)を首席卒業された秀才で、言語学者である金田一京助先生の弟(金田一春彦先生の叔父)らしい。彼の盛岡中学での同級生に、宮沢賢治がいる。
「他人」の読みは、実際はやはり「たにん」といったが(父41歳に生まれた子は、2歳になると、父か子の一方が早世するという迷信・俗信から、そのような名前にしたもよう)、「おさと」というのは、民族学者の柳田国男先生が、付けた佳名であるらしい。
ところが、「金田一他人」氏は、大学4年(大正9年)の春頃、許嫁となった鈴木克子との関係が思わしくなくなり、憔悴しきった表情で、兄・京介や、我妻・岸ら友人に窮状を訴えるようになった。そして、ついに、鈴木家2階の自室で青酸カリを使って服毒自殺してしまう。ちなみに、鈴木克子の姉・鈴木隆子は、小説家・遠藤周作の妻順子の母らしい(七戸「(法学者の本棚)金田一他人『身も魂も―金田一他人遺稿』―我妻栄の青春」法学セミナー738号(平成28年)扉頁)。
ちなみに、我妻先生の軽井沢の別荘の隣の別荘地が成富信夫家(佐賀藩家老の家系)の別荘であるが、成富氏が、その別荘を一時的に貸した相手が、作家の横溝正史。横溝正史に探偵小説には名探偵「金田一耕助」が登場するが、どうやら、横溝正史が戦時中、東京・吉祥寺の隣組であった金田一安三(金田一京助の弟、金田一他人の兄、金田一春彦先生の叔父)のことを想い起こし、名前についても、兄・京介をもじって「耕助」としたものであるらしい。
ちなみに、成富信夫氏の長男・安信氏(大正14年1月生)、二男・信方氏(昭和6年2月生)は、ともに弁護士で、その妹・愛子氏(昭和8年11月生)は、われらが我妻堯先生(産婦人科医、我妻栄先生の二男)と結婚している。
七戸先生は、民法学者よりも、歴史学者の方が向いているかも…。
改めて、七戸克彦先生の論稿的資料「我妻栄の青春⑴」の「Ⅰ プロローグ」冒頭を読み返すと、
いきなり金田一他人著「身も魂も」(遺稿歌集)
編集者兼発行者 我妻栄(金田一他人遺稿編纂会代表者)
の中から、次の、悲痛な歌を紹介している。
身も魂も打ち込んだ
俺のこの愛を
疑ふのです おん身は
……これが自殺の動機か?、
……ってことは、「おん身」が特定されてしまう。
ちなみに、実業家にして衆議院議員5回当選の経歴をもつ鈴木寅彦氏を父にもつ、鈴木克子氏(金田一他人より9歳年下の婚約者)と、三島由紀夫の母・倭文重(しずえ)とは小学校の同級生で、倭文重によると、「…K子[克子]という人は美人だったけれど、コケットリーでね、学校でも男の先生と見ると甘えて膝に乗っちゃう人だったわ。お姉さん[隆子]もきれいでね。雨が降ると傘をもって迎えにくるんだけど、先生たち、あまりの美しさに茫然としていたようだったわ」とのこと。