北口雅章法律事務所

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「勤操法師の容姿」をめぐって

大安寺(奈良県)で、勤操法師を偲ぶ法要が行われた旨の記事(奈良テレビ放送)とともに、勤操法師の容姿(肖像画)を初めて見た。勤操(ごんぞう)法師は、天長4年(827年)5月に死去した僧都であることは日本後紀に記されており、弘法大師・空海と親交があったことと、その人となりは、空海の性霊集第十巻の「故(もと)の贈僧正勤操大徳の影(=造顕された木造)の讃」に詳しく記載されている。

 

われわれは、他人の容姿を評論すること、殊に否定的な評価をすることは礼儀を失するものとしつけられる。だが、空海は、上記「讃」の中で、勤操法師の顔貌を三回も連続的に貶しているように読めるが大丈夫なのか? まあ、もっとも、当該マイナス評価に続けて最大限の賛辞を送っているので相殺されるのではあるが…、それにしても、…

曰く
顔容は酷(はなは)だ世間の人に似たり
 (顔容は甚だ世間の普通の人に似ている)
面孔(めんく)は宛(あたか)も諸趣の倫(ともがら)の如し
 (顔貌はさながら迷える凡夫のそれのようだ)
我が師の相貌は凡類に等しけれども
 (我が師[勤操法師]の相貌は凡夫に等しいけれども)
心行は文殊にして志は神の若し
 (心と行いは、文殊菩薩と同じく、志は神のようだ。)

「故の贈僧正勤操大徳の影の讃」より

・・・「人は見かけによらない」ということか?

 

 

奈良テレビの記者へ

弘法大師・空海の師匠は、恵果和尚であることは、社会常識ですぞ。

「讃」の上記引用部分には、「我が師」とあるが、敬語であって、密教の関係では、空海の方が、勤操法師に対し、三昧耶戒と、金剛・胎蔵の両部灌頂を伝授している。