弁護士のブログBlog
ここ数回の私のブログでは、連続的に門野〈カドノ〉元東京高裁判事の名前を登場させた。このように「ウワサ」をしていたら、本日(令和6年9月24日)、「袴田事件」再審無罪判決を2日後に控え、今朝の朝日新聞にデカデカと門野元判事のインタビュー記事が顔写真入りで出ていた。
これまでの私のブログでは、どちらかというと、門野元判事の業績を持ち上げることはあっても、ほとんど貶していない。私の性格・本性に似合わず、門野元判事のことを正面から批判できないのは、必ずしも同元判事を崇拝しているからではなく、もちろん、私の「再審手続」関係(刑事訴訟法)の勉強が、未だ十分に進んでいないからだ(名張毒ブドウ酒事件については、未だ第5次再審までの最高裁判決しか読み込んでいない。)。いずれは、本格的に批判したいと思うが。
何故か。
「再審手続き」をもって、「裁判官のさじ加減」で決まると受け止めていたなどとふざけたコメントをしているからか? いやいや違う。
私は、名張毒ブドウ酒事件は、直観的には、冤罪だと思っている。現時点では、関係記録を斜め読みしかできていないので、「筋論」でしかものを言えないが、第7次再審請求審において、名古屋高裁刑事第1部(小出錞一裁判長)の再審開始決定に対し、その異議審で、検察の主張を受け容れ、再審開始決定を取り消して、再審開始請求を棄却したのが名古屋高裁刑事第2部(門野博裁判長)だった。門野元判事が、奥西勝・亡死刑囚の自白調書を過大評価したのではないか、と疑われる。
妻と愛人を含む合計5名もの犠牲者が出るような毒物〈農薬:ニッカリンT〉混入事犯について、相当程度「知的能力が高い」男が、「三角関係のもつれ」の清算などといった安易な理由から、最も自分が死罪を疑われ易い状況のもとで、あからさまな重大犯罪を敢行するであろうか?、換言すると、犯行態様・被害結果〈死罪と直結する大量殺人行為〉と動機とのギャップが常識の範囲を超えている、この意味で、文字通り「割に合わない」犯行を、奥西・元死刑囚ほどの「知的能力が高い」男が実行するであろうか?という根本的な疑問がある。
奥西・亡死刑囚が「頭のいい」男だったかどうかは知らない。もちろん、私は、奥西・亡死刑囚と話したことはないし、名張毒ブドウ酒事件の弁護団に加わっている訳でもない。
しかしながら、おそらく彼は「相当程度」に「知的能力が高い」男だったと思う。なぜならば、第1に、同時に、正妻の他、2名、3名の女性と交際・愛人関係を維持できるには、それなりの社交性、知的能力が必要だと思われる。そして、第2に、彼は、自分が無罪になることを見越して、つまり、公判で否認することで「自白調書」の信用性を否定できる、といった計算のもとに自白しているからである(現に、確定審の第1審で、奥西・亡死刑囚は、無罪判決を受けている。)。
だが、彼は考えが甘かったことは否定できまい。何故ならば、裁判官の面々が、人間の本質・心理を洞察できる人物ばかりではないこと、否、むしろ世論の圧力・空気に迎合する裁判官が少なくない、という刑事司法の実情・限界までには考えが及んでいたとは到底思われないからである。
なお、奥西・亡死刑囚と同様、無実であるにもかかわらず、執拗・狂信的な警察官による取調べから逃避すべく、公判で無実を主張できるといった「計算」から、捜査段階で詳細な自白をしてしまい、失敗した例として、「松橋事件」(有罪確定・服役後の再審無罪)の被告人の例がある。彼の場合は、再審段階で、「相当有能な裁判官が担当してくれた」という類い稀な「僥倖」に恵まれたからこそ、再審無罪となったに過ぎない。この事例については、別のブログで触れることにしたい。