弁護士のブログBlog
義伯父(精神科医)が主催する団体から通信(機関誌)が届いていたので、開けて読んでみた。
「医の心、医の哲学を取り戻そう 患者に寄り添う臨床医に」
という、義伯父のエッセイの標題を読んだ瞬間、義伯父が何を語ろうとしているか、だいたい想像はつく。
かつての高齢者、老齢者が、「結論がわかっていても」『水戸黄門』(テレビ番組)を見ていたように、折角、毎月、律儀に送ってくれるので、律儀に読むようにしている。
曰く、『良い医師』とは、「優秀な臨床医」「有能な臨床医」だといわれる。
そして、「優秀な臨床医」「有能な臨床医」とは、どのような存在か?
「よく観察する」
「よく聴く」
「考える」
「患者の心の治療的態度」についての訓練を経て、臨床医が生まれる
「良い医師」とは、
「患者の立場に立って、患者の抱えている苦しみ、悩み、困難を共に考え、解決しようと努力してくれる医師」だそうだ。
では、私は「良い弁護士」か?
「良い弁護士」とは、「依頼者に寄り添う弁護士」であろう。
最近、「控訴審からの裁判」の依頼を引き受けたところ、その依頼者の方から言われた。
「先生は、普通であれば、絶対に選ばれないタイプの弁護士だ。」と。
何故か?
「すぐに怒る」し、「すぐに怒鳴る。」
機嫌が悪いと、「(依頼者に向かって)相手に理解できる日本語で話せ!。そんな難しいこと言っても、私には全く理解できない。私に理解できないことは、裁判官に理解できるわけがない。なんだ、この文章は! 日本語になっていない。こんなことをやっているから、第1審で負けるんだ。」などと、怒鳴り散らしながら、エラそうなことを言う。だから、「普通であれば、絶対に選ばれないタイプ」の弁護士なのだそうだ。
それでも、彼が私を解任しないのは何故か?
勿論、依頼者の度量もあるだろうが、どうやら、「間違ったことは言ってない。」と思ってくれているらしい。
というよりか、「私の言うことは全部正しい。」と彼自身が信じていないと、やってられない、そう思っていないと、私の怒声には堪(耐)えられない、というのが、彼(依頼者)の本音であろう。
私は、時に辛口だが、「私の流儀」で、依頼者に寄り添っているんだがね。
昔、刑事事件の依頼者によく言われた。
「先生との接見は、検事の取調べよりも怖い。」と。