弁護士のブログBlog
「多民社会」は、グローバルスタンダードか?
- 2026-02-15

『多くの外国ルーツの人たちが暮らす社会』を「多民社会」といい、近時、特に朝日新聞で目に付くようなった、現代用語だ。「多民社会」の問題は、これを既成事実として認識すること(認識論)と、これをグローバルスタンダードと観念し推進すること(政策論)とは異次元の問題であることに注意する必要がある。

今朝の朝日新聞でも、北欧デンマークの再開発事業の過程で、港湾都市郊外の、「家賃が安い非営利の集合住宅」にて、「デンマーク国外にルーツを持つ移民や難民と、その家族」が集住していたところ、その老朽化に伴う解体・再開発事業に際して、居住民の事実上の「強制移転」が行われ、その跡地には、民間アパートが建築され、その家賃は、以前の2倍以上に設定されたことから、事実上、白人の居住区に塗り替えられている事例が紹介されていた。
これは、国家政策だったはずの移民政策に対する、いわば「反動」であろう。
コペンハーゲンの一部住民が、政府のこのような再開発計画の承認が違法であると主張して提訴しところ、EU(欧州連合)の最高裁は、昨年12月、「直接的差別」にあたる可能性を示唆した、と報道されているが、朝日新聞を読んだだけでは、その詳細は不明である。もっとも、再開発計画が違法無効とは判断されなかったとみえる。何故ならば、朝日新聞においては、かかる再開発事業について、「移民のコミュニティーを解体させるための極端な政策が実現してしまった」と非難しているからだ。
「多民社会」のシリーズ記事で、「私たちが抱く『不安』の正体を国内外の取材を通して見極め」ることは、極めて重要である。だが、その「見極め」方、取り上げ方が左傾化していては、問題の本質を正しく捉えることはできまい。

朝日新聞は、冒頭、「社会はいま、外国人への見えない『不安』にとらわれているようだ。」とあるが、その『不安』は、既にヨーロッパ諸国で現実化しており、単なる『不安』(杞憂)とは言い難い状況にあることを無視するものではないか。
「少子高齢化に直面し、受け入れなければ、社会は成り立たないはずである」というが、本当にそうか?
「日本より先にそのジレンマに直面したのが、欧州だ。」というが、本当にそうか?
欧州、特に北欧・ドイツが、外国人受容れを承認したのは、労働者不足の解消を目的としたというよりも、「難民受容れ」という人道的な側面が主たる理由だったのではなかったか。
その際、外国人受容れ政策を承認した関係各国においては、必ずしも「ジレンマ」を自覚し、それに直面していたわけではない(将来に「移民問題」が発生することを予見していたわけではない)。むしろ、その後、次第に外国人受容れに「歯止め」が効かなくなり、大量の外国人を受け容れてしまった結果、社会が身動きのとれない状態となり、変質してしまっていたこと(国民のための福祉資源の外国人による食い潰しや、文化・伝統への悪影響を伴う環境・治安の悪化等)に「遅まきながら気づいた」ということではなかったか。
無秩序を排除し、移住要件を厳格化することと、「排外主義」とはイコールではない。