北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「何もないこと」の幸せ

「何もない日」
=「ドキッと心臓をあおられることが何もない日」
=「脳に血が昇ることが何もない日」
=「総じて、神経に触ることが何もない日」
こんな日は、殆どなくなってしまった。

「何もないこと」の幸せを「感じる」日は、遠のいた。

このところ、日々「何か」が起きる。
「何もないこと」の幸せを「思わずにはいられない」日が続く。

精神力・耐久力が衰えるほど、
刺激に対する感受性が増強し、
小さな刺激・ストレスでも、
「過剰な刺激・ストレス」に感じられるのかも…。

怒濤の如く押し寄せる「IT化=効率化=省力化の波」ゆえに
日々「何らか」の刺激が、次々に飛び込んでくる

だが、怒濤の如く押し寄せる「IT化=効率化=省力化の波」とは裏腹に、
「手抜き」判決に怒りを覚えることが、日常茶飯になってしまった。
今や、旧式の弁護士にとっては宿命的・日常的なストレスだ。

この「ヤマ」を越えたら、ちっとばかり、ユックリしよう、
……と思っていると、
横から「何か」刺激が飛んでくる。
一つや二つではない。
複数、連続的に飛んでくることもあるし、
ボリュームのある塊となって飛んでくることもある。
頭がクラクラッときて、脳震盪を起こしたような気分になることもある。

過剰な刺激は、うまく逸らすか、うまく受け止めないとストレスになる。
接待は、先方を接待するばかりではなく、
自分で「自分をも」接待する機会でもあるのだ。

自分に問う。

おまえは注意してことばを選んだか。
どんな印象を相手に与えたか。…

「過剰なストレス」が
「ユーモアの感覚にみちた自己省察」(Dag Hammarskjold)
を麻痺させることがありませんように。