弁護士のブログBlog
小川雅魚著 『潮の騒ぐを聴け』 を聴け!!
- 2018-11-21
 
“伊良湖の怪人” マサナ先生から,
 サイン入りのエッセイ集が送られてきた。
 『潮の騒ぐを聴け』(風媒社)だ。
なにやら,「血の騒ぎ」そうな予感?,
 三島由紀夫(「潮騒」)が出てきそうな予感?。
芥川賞作家(黒田夏子氏)に
 直木賞作家(出久根達郎氏)に
 評論家・エッセイスト(坪内祐三氏)といった,
 三者三様の推薦文の書かれた帯がついている。
 「独特の躍動感のある文章に楽しく乗せられて,生きているって素敵なことなんだと
 しみじみ嬉しくなる本でした」(黒田評)
 「これぞ随筆の王道」(出久根評)
 「何しろ文章が良い」(坪内評)
 と書かれてある。
これは,心して読まねば!!
マサナ先生(椙山女学園大学教授・英文学者)との出会いと,
 マサナ先生の編集誌「渥美半島の風」のことについては,
 既に,わがブログでも書いた。
(関連ブログ)
 ■「渥美半島の風」;小川雅魚(まさな)さんの正体は?
  https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=1716
■「渥美半島の風」が事務所に届いた
  https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=3946
いずれも,マサナ先生の “ 怪人 ” ぶりに魅せられて,
 思わずブログに書き込んだのものだが,
 先日,突如,マサナ先生から初めて事務所に電話をいただいた。
「私のツレが,医療事故にあったので紹介するから,
  ちょっと相談にのってやって欲しい。」
 「わかりやした。で,先生,ボクのブログ,読んでくれた?」
 「読んだよ。私のエッセイは読んだのか?」と逆に聞き返された。
 「・・・」(言葉を詰まらすWADASU)
 「未だ読んでないのか。じゃ,送るよ!」
 と言われて,マサナ先生から送られてきたのが,ブログ標題の『潮の騒ぐを聴け』
帯をみただけで,ワクワクし,
 目次をみると,18編からなるエッセイ集だと解る。
 毎日,1編ずつ寝る前に拝読しようかと思って,本の厚みをみると,
 なにやら,後段の約3分の1ほどのページの色がやや灰色。
なんだろう? と思ってみると,
 「本文」に対し,著者自らが「注釈」を垂れているのだ!
 「注釈」の表紙には,
 「本文よりおもしろい? ―編集者」
 「本文も十分おもしろい! ―著者」
 と書かれている。灰色の紙の注釈部分だけでも,結構な分量だ。
そして,「はしがき」には,
 塩村耕先生(名古屋大学文学部・国文学教授)の紹介文の追記部分で,
 *として,次のことが書かれている。
 塩村先生曰く「本書を繙(ひもと)く際に,まず本文のみを通読し,
  それから今度は注に主眼を置いて読み直されんことをお薦めする。」と。
とはいうものの,「注釈」が気になる私は,
 ちょこちょこ,「注釈」を参照しつつ,本文を読むことになる。
 「マサナ文学」の名調子(どこぞの落語家の名調子に似ている?)
 に乗せられて,一気読みしてしまった。
 何せ「伊良湖がうんだ昭和・平成の奇人」の文章だから,面白くないわけがない。
が,マサナ先生の教養・蘊蓄・博学ぶりは,半端ではない。
 したがって,読み手の方も,それなりの理解や深読のためには,
 少々「広い意味での」教養と,共通の「時代体験」「世代感覚」が必要とされる。
 私の場合は,自分がこれまで積み上げてきた雑学の知識と折り重なり,前知識がかすった範囲で,なんとかかろうじて(?)「異人の体験談」を堪能・想像・追体験させていただけた,
 と勝手に思っている。
 例えば,マサナ先生の大学時代,大学の授業には殆ど出ないで,
 久我山にある叔父さんの鰻屋『あつみ』で,
 蒲焼きをされていたという話がでてくる。
 その店に魅せられた客人らの名前,具体的には,
 東郷青児(画家),岸洋子(シャンソン歌手),
 中村元(仏教学者),佐藤慶(俳優),伊藤整(小説家)をみて,
 ホォ!!と思える若者が,どれほどいるだろうか??
  また,「久我山」と聞いて,ああカノ懐かしの「井の頭線」久我山駅!,
 昔○十年前に,下宿探しにいった学生時代を思い起こす,
 といった程度の土地勘をもつと持たぬとで,
 マサナ先生のエッセイの味わいは,多少とも違ってくるのではないだろうか。
ともあれ,“ 怪人 ” のエッセイには,
 本物の「怪人」も登場してビックリするところもあるが(例えば,マサナ先生のサンスクリット語の師匠・松山俊太郎さんは,インド哲学者(?)であると同時にその著書『「南方熊楠と蓮」覚書』では,「南方熊楠の蓮についての文章の間違いを十数巻の原典を総ざらいして指摘,注釈を加えている」というから,その博覧強記ぶりは半端ではない。),
 そうはいうものの,「わが飲食交遊記」とあるように,
 だいたいが『食べ物』(海産物が多い),『悪ガキ仲間』の話なので,
 肩肘を張らずに読める。
ひとことで要約しちゃうと,「昭和」の「古き良き時代」の
 「渥美半島」の先端での出来事を中核とする「郷愁(nostalgie)」の凝縮だ。
さて,私が,独断と偏見で,
 “これそ,マサナ先生!の真骨頂” だな,と思い,
 気に入った,本エッセイに出てくる小話を紹介すると・・・
でも,
著作権に触れるからやめとこうかな・・・
でも,
マサナ先生のエッセイ集は全部面白いから,
 約三つほど “ちょっといい話” ではなく,
 “かなりいい話” を紹介しても,怒られないだろう。
1.本書では,「フジオカ医院院長のトッちゃん」が登場する。
   根っからの釣り好き,という変わった医師。
  「先日(トッちゃんに)『正直にいえよ,本業はどっちだ?』」(医師か釣り師か)
  『そりゃ,もちろん,こっちですよ』
   白衣を着ていたときだから,こっちとはたぶん医者のほうだと思うが,確信はない。ありゃ名医だというひともいるし,あまり薬をだそうとしないから,きっと名医なのだろう。胃カメラを使ってアニサキスをつまみとる手際は,文句なしの名人だが,これもなんだか釣り師の仕事のような気がしないでもない。」
2.「ヒサオ(マサナ先生の親友)を見ていると,学校とはいったい何だ? と思えてくる。・・・・,オレたちはみなそうだったが,…,少なくとも家で勉強する『変わり者』はいなかった。ヒサオは小学校の五年のとき,釣り好きの担任イトウのヒーさんに餌のゴカイを掘ってこいといわれ,喜んで出かけたという。放課後や休日なら断ったが,なにせ授業中だったからと笑っている。」
3.「…,江比間の沖でとれるアサリは日本一だと断言できる。・・・
   一昨年,友人のキタデくんが『来たでえ』といって遊びに来て,
 ここのアサリを食べさせたところ驚嘆して土産に持ち帰ったが,これを味わった当時中学生の息子さんは,それ以来,他所でとれるアサリはアサリと認めていないという。カニやウナギも,いまや激減してはいるものの,名人上手はとれる穴場を知っている。」
「追記:ウナギ釣り用のミミズを掘る場所をトーゴにきいてみると,小声でこそっと,ある神社の裏の雑木林と某果樹園の土台を教えてくれた。だが,公表は控えてくれという,幼なじみのあいだの人生の秘密,そういうことにしておこう。」
<余録>
  
 「伊良湖」界隈では,なんとなんと意外な著名人が登場する。

 「http://www.net-plaza.org/KANKO/index.html」より
以下,マサナ先生著『潮の騒ぐを聴け』からの受け売り。
渥美半島西端・伊良湖岬の灯台近くに「万葉の歌碑」とある。
 ここでは,
 天武朝の皇族・麻績王(おみのおおきみ)が伊良湖に流された時に詠まれた歌
 「うつせみの 命を惜しみ 浪にぬれ
  伊良湖の島の 玉藻(たまも)刈り食(お)す」(万葉集巻一・24)
 が刻まれている。
 ([意味]現世の命が惜しいので,浪にぬれて伊良湖の海藻を刈って食べてます,という屈辱・自虐の歌?)
ちなみに,万葉集巻一・42には,
 「潮騒に 伊良湖の島辺 漕ぐ船に 妹(いも)乗るらむか 荒き島廻(しまみ)を」
 ([大意]潮のざわざわと波立つ今頃,伊良湖の島のあたりを漕いでいる舟に,恋しい妹は乗っているであろうか,あの荒い島のめぐりを)との歌もある。
 <参照:「萬葉集一」日本古典文学大系4・岩波書店>
柳田国男(当時,松岡)は,明治31年(1898年)夏,田山花袋の紹介で,
 挿絵画家・宮川春汀の郷里,渥美半島の畠村(福江)に逗留していた,とのこと。
上掲地図上「芭蕉の句碑園地」とあるが,
 松尾芭蕉は,米穀商の愛弟子・坪井杜国が,法度に触れて名古屋を追放され,
 保美(上掲地図付近)にて隠棲していた際,彼を慰めるために当地に来訪し,
 詠んだとされる句が,
鷹一つ 見付けてうれし いらご崎
「西行法師歌碑」もあるから,西行も当地を訪れたもよう。
 マサナ先生の御著によると,
 平安末期,源平の争乱時代,
 西行が,東大寺再建のための勧進のため奥州に向かう途上,
 当地に立ち寄って詠んだ歌が,
 巣鷹(すだか)渡る 伊良湖が崎を 疑ひて
  なお木に帰る 山帰りかな
[大意]若鷹が伊良湖岬を巣立って行くのを,不安げに見送った親鳥は元の山へ帰り,風待ちをしている,という意味らしい。