北口雅章法律事務所

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「30年前の下宿先」 の 今 ⑵ 大塚篇

(承前)
40年近く前に下宿していた本郷界隈を離れた後,
いよいよ,私が,大学時代,最も長く居着いた,
「訪問先・第3号」
大塚の「ダイサン荘」
へ立ち寄ることにした。

 

地下鉄丸の内線・新大塚駅を降りて,
駅を出たところで,地図をもとに自分の立ち位置を確認。

確か,坂道をくだって,交差道路を渡り,
再び坂道を昇るという記憶だが,・・・・

あった,あった! 下り坂を降りたところで,
交差道路の向こう側に昇り坂が!
道路先の地図をみると,「開運坂」!

30年以上前も,「こりゃ,縁起の良い坂だなぁ・・」と思った記憶が蘇る。

坂道を登ると,真っ直ぐ先の一本道は,
左手が,護国神社の塀が続き,
右手は,美しい花咲く庭をお持ちの高名な学者先生方の
家が建ち並んでいたはずだが,・・・・
(もちろん,私の旧下宿は,高級住宅街を通り過ぎたところにある。)

ありゃまぁ!! 庭に花咲く高級住宅街が,
いつのまにやら,アパート・マンション系の建物になってらぁ・・

さて,この一本道をまっすぐ前に進んで行き,
3本目あたりの路地を右に回っていくと,
いよいよ「ダイサン荘」(大塚6-25-4)のあった場所に行きつくはずだが・・・

ない!!
地番もない!!
大塚6-24と,大塚6-26はあるのだが・・・

「ダイサン荘」があったあたりに
ドカーンと,何やらマンション系の建物がたっている


大塚6-24-4のマンションだが,

完全に大塚6-25を呑み込んでいる。

「ダイサン荘」が消えた!
当時,貧乏人だった私は(今も,貧乏人のままだが・・・),
風呂なし(銭湯利用),トイレ共用の下宿だったが,
「ダイサン荘」では,個室にトイレがついていた。
下宿部屋(2階)の窓を開けると,
大家さんが「ジャングル」と呼んでいた,
大家さん宅のお庭の樹海が,視界にひろがって見えた。
非常に気に入った下宿であった。

嗚呼,その旧下宿が,影も形も,なくなってしまった。
私は,思わず,高校時代の国語の教科書に出てきた,
柳田国男『清光館哀史』を思い浮かべた。

だが,ココに「ダイサン荘」があったことは間違いない!
と思わせる思い出の痕跡があった。
「ダイサン荘」の真ん前にあり,
山手線・大塚駅に向かうときに通った,「ダイサン荘」を背に下る坂道が残っていた。
(当たり前だが。)

 

坂道をここまで降りてくると,・・・

 

『そういやぁ,この先に魚と乾物を売っていたお店が左手角にあったはずだが・・・』
と当時の記憶が蘇る。

あった,あった!

 

途中で,方向感覚に自信がもてなくなって,
若い通行人の女性をつかまえて,
「あのぉ,山手線・大塚駅って,確かこちらの道をまっすぐ,行けば,
行き当たりますよね?」
と尋ねたところ,
「???」といった感じで,
「あちらに都電が走ってますでしょう。その線路に沿って,右に行けば,
確実だと思いますが・・・」
と曖昧な返事。
「そうですか。ありがとう。」と言いつつも,
こっちゃぁ,急いでるんだ,と思いつつ,
土地勘の記憶を頼りに,真っ直ぐ進んでいくと,
左手に見覚えの神社がある!

やっぱり,こっちの道路で良かったんだ!

ほらほら,見えてきた大塚駅!

 

大塚駅から,歩いてきたサンモール大塚商店街を臨む。

昔は,大塚駅を降りて,下宿に向かうときは,
この商店街入り口の左手に書店があって,そこで,よく立ち読みをした。
そして,この駅前あたりに名画座があった。
この名画座で,「フレンチコップス」を見た覚えがある。

「大塚駅界隈」も,私の「青春の1ページ」には違いない。
あの当時,村上春樹の「ノルウェーの森がベストセラーだった。
実は,この「ノルウェーの森」に「大塚駅界隈」が出てくる。

(「ノルウェーの森」より)「大塚駅の近くで僕は都電を降り,あまり見映えのしない大通りを彼女が地図に描いてくれたとおりに歩いた。道筋に並んでいる商店はどれもこれもあまり繁盛しているようには見えなかった。どの店も建物は旧く,中は暗そうだった。看板の字が消えかけているものもあった。建物の旧さやスタイルから見て,このあたりが戦争で爆撃を受けなかったらしいことがわかった。だからこうした家並みがそのままに残されているのだ。・・・」
人々の多くは車の多さや空気の悪さや騒音や家賃の高さに音をあげて郊外に移っていってしまい,あとに残ったのは安アパートか社宅か引越しのむずかしい商店が,あるいは,頑固に昔から住んでいる土地にしがみついている人だけといった雰囲気の町だった。」

この雰囲気は,私が下宿した当時も残っていた。
が,「ノルウェーの森」に登場する『小林書店』
モデルと思われる書店は,多分,・・・だろうというのが,当時(私の学生時代には)あったが,

もちろん,今は,跡形もなくなっているであろうから,パス。

大塚駅から新宿に向かって山手線に乗ったとき,
息子との約束時間に遅れることが当確となった。
そこで,浜田山の下宿に行くのは,今回は,断念することにした。


今回は,

井の頭公園近くの「ひまわりハイツ」に残った標的をしぼり,
浜田山訪問は,またの機会にするしよう。

・・・つづく