弁護士のブログBlog
「30年前の下宿先」の今 ⑶ 井の頭篇
- 2019-05-11
(承前)
東京都文京区「大塚界隈」を訪問し,
「ダイサン荘」の消失を確認した後,
息子の下宿へ。
山手線を新宿で降りて,
小田急線に乗り換え,・・・
息子の下宿に到着後,しばし休憩。大学の様子を聞く。
「じゃあ,これから井の頭公園に行くからな。
父さんが,30年前,在東京最後の1年を過ごしたアパートを探しに行くぞ。」
と言い放って,出発!
いざ,井の頭線・吉祥寺駅へ。
いよいよ,今回最後の訪問先となった,
「ひまわりハイツ」は残っているか?
私は,昭和64年,最後の1年間,司法試験の受験勉強をして,
落ちれば,司法試験の受験生活から「足を洗う」つもりだった。
その後は,郷里に戻ることになるから,東京最後の1年は,
井の頭公園の近所で,同公園を散歩できる場所で過ごしたかった。
理由は,単純で,ミーハー。
鎌田敏夫脚本の青春ドラマ「俺たちの旅」の舞台だったからだ。
姉と,親友N君(現名古屋大学教授)に付き合ってもらって探した,
下宿は,当時新築直後のアパート「ひまわりハイツ」で,
ロフトベットのある洒落た部屋だった。
名前に「ひまわり」が入っていたが,
当時は,未だ弁護士志望だったわけではない。
吉祥寺駅を降りた後,
井の頭公園に向かい,池の真ん中に掛かっている橋を南方向へ渡る。
行楽客で一杯だ。池の上は,ボートだらけだ。
(肖像権は保護しておこう。)
ちなみに,私の下宿時代の池は,そうではなかった。
ドラマの世界と同様に。
30年前で,記憶は激しく減退していたが,
確か,池の橋をわたって,左に曲がり,3本目あたりの路地を,
南方に真っ直ぐ行けば,みつかるはずだが,・・・
ところが,あるはずのところにない!!
ぐるぐるしているうちに,Nさんの表札をみつけ,
大家さんはNさんだったような気がするが,
その南隣にはマンションがない!
(同じ名字だが,後で,別のNさんだと分かる)
コレかぁ??というアパートも,
イメージが違う。
確か奥の階段を上がって2階の角だった記憶だが,
このアパートは,道路手前に階段がある。
しかも,もっと部屋数が多かったような気がする。
このアパートは,アパート名がつけられていないし,
四人分の下宿しかない。
最後の1年間は,実は,S君からの手紙はなかった。
その頃は,長電話が多かったからだ。
したがって,手紙では,番地を特定できない。
う~ん,困った。
道連れにしていた息子が,
「ちょっと,手掛かりが少な過ぎるんじゃないか?」
と呆れ顔。
(実は,息子には言わなかったが,下宿前の道路から井の頭公園に向かう途中に“目印の”ラブホテルがあったのだが,さすがにツブれたのか,跡形もなくなっていた。)
しかたなく,携帯電話で,姉に電話してみた。
「今,井の頭公園の近くに,○○と来ていて,
『ひまわりハイツ』の場所を探しているんだが,
みつからない。大家さんは,確か『Nさん』だったと思うが覚えていないか?
部屋数は,4つばかりじゃないよね? もっとあったような気がする。」
すると,姉曰く
「井の頭4-14-15よ!」
「エッ? 何で覚えてるの??」
「井の頭・ヨイヨイ・GO(ゴー)!,って覚えた記憶があるから。」
だとぉ?
「・・・,だってさ。」と息子に伝えると,
スマホで検索をかけた息子がいうに
「お父さん,一本,道の筋を間違えてるよ。」
かぁ・・。
「井の頭4-14-15はココだよ。」
と息子が指さした場所には,
『ひまわりハイツ』がない!!
が,代わりに,なんだかブリキ板調のアパートが建っている。
「ここかぁ??,まだ30年しか経っていないのに,
もう全面改築しちゃったのかなぁ?」
と行って,そのアパートに近づくと。
息子が言う。
「ここだよ。間違いない。『サンフラワー井の頭』となっているから,
同じ『ひまわり』だよ。」と。
「ありゃ,まあ。間違いないな。」
念のため,北隣のお宅の表札を確認すると,
別の表札も加わっているが,間違いない。Nさんだ。
が,大家さん宅の玄関の位置・建物も,全面改築されていた。
てな訳で,
「じゃあ,これからメシでも食いに行くか。」
と吉祥寺駅前・北側の商店街「吉祥寺サンロード商店街」へ
ちなみに,
テレビドラマ「俺たちの旅」当時の吉祥寺駅前の商店街は,・・・
(完)