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円空と深沙大将 その2

円空が、志摩半島・片田漁協旧蔵の大般若経に遺した深沙大将の仏画が、南北朝時代の大般若経見返絵に描かれた深沙大将をモデルにしていることは先のブログで述べた。

(いずれも、円空が描いた深沙大将)

 

ところで、故・梅原猛先生は、片田漁協旧蔵の大般若経に遺された円空の仏画では、「龍女の授記」(第1巻)が描かれるとともに、「提婆達多の授記」をも描かれている、との説をとられている(「歓喜する円空」228頁)。「授記」とは、釈迦が未来成仏を保証することをいい、提婆達多(釈迦の殺害を企てたとされる悪人の象徴的存在)の成仏を保証した場面が、211巻の扉絵だとされる。

211巻の扉絵

 

しかし、釈迦の下、文殊菩薩・普賢菩薩の間に描かれている人物が何故「提婆達多」といえるのか、梅原先生の御著には、明確な説明がなく、各絵画の主観的な理解が示されているが、残念ながら納得のできるものではない。

 

私は、梅原先生が「提婆達多」だと考えている人物については、実は、円空がただ単に「深沙大将」をアレンジしたものではないかと考えており、梅原先生が「提婆達多の骨」を描いたと主張されている24巻の絵も、深沙大将の瓔珞の名残ではないか、と考えている。その理由について、本ブログで詳論するつもりでいたが、残念ながら、私の手元にある「円空研究=8<絵画特集Ⅰ>」では、片田の仏画が網羅されていないことに気づいた。

24巻

 

 このため、当初の目論見は断念することにし、以下では、梅原先生がいう「提婆達多」について、「深沙大将」と考える理由について、簡略に言及するにとどめる。

 

南北朝時代の大般若経見返絵の模写・第一号ともいうべき第1巻の仏画は、原画に忠実に、釈迦の頭上に「天蓋」が描かれ(上掲の黄色枠部分)、深沙大将の上には、「戟(げき)様の」棒をもった「法涌」(橙色)が描かれている。この構図は、151巻591巻の仏画でも維持されている。ただし、591巻になると、深沙大将の「瓔珞」が省略れている。

 左:151巻       右:591巻

 

421巻

 

そして、釈迦の「天蓋」が省略された(消失させた?)421巻でも、「法涌と深沙大将」の「上下関係」は維持されている。ところが、釈迦の「天蓋」が省略される段階になると、私の手元にある画集(「円空研究=8<絵画特集Ⅰ>」)上は、421巻以外は、深沙大将が、首に瓔珞様の飾りをつけた護法神に変貌し、「法涌と護法神」の「上下関係」に転換されている(例えば、81巻、411巻)。

81巻

 

411巻

 つまり、私の理解では、護法神様の人物に変換された「深沙大将」が釈迦の前、文殊菩薩・普賢菩薩の中間に進み出た場面が、211巻(前掲)ということになる。要するに、梅原先生が「提婆達多」と考える人物について、これを私が「深沙大将」のバリエーションと考える根拠は、もっぱら「法涌との上下の位置関係」からではあるが、梅原先生が「提婆達多の骨」が描かれていると主張される24巻(前掲)については、三蔵法師・玄奘の「笠」も描かれていることに照らし、深沙大将と玄奘の各形見(身につけていた物の中で象徴的な遺物)を描くことで、それを身につけていた人物・身体自体が(骨を残さずに)消失したことを暗示しているものと思われる。

24巻