北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

自衛隊=「違憲」判決をかいた裁判官たち

昨日(令和5年9月7日)の朝日新聞朝刊に、長沼ナイキ(=ミサイル)基地訴訟で、自衛隊=違憲の判決をくだした裁判長(当時)であられた福島重雄さん(93歳の現役弁護士とか)の顔写真と紹介記事がでていた。札幌地裁での、昭和48年9月7日の判決言渡から、50年の節目を迎えるという。

 

老衰した“ 伊藤博文 ”(?)といった風情のご老人が福島重雄・元裁判長とのこと。彼の裁判官としての現役時代を知る弁護士は、愛知県弁護士会には殆どいないと思われる。
もっとも、上記長沼ナイキ(=ミサイル)基地訴訟行政訴訟(合議事件)なので、当然のことながら自衛隊=違憲判決に携わった陪席裁判官が二人みえる。稲守孝夫・当時判事(右陪席)と、稲田龍樹・当時判事補(左陪席)だ。

 

このお二方の現役判事時代の顔を「直に見て」知っている弁護士も、おそらく「絶滅危惧種」であろう。

 

だが、私は、このお二方の顔を「直に見て」知っている。
稲守判事が名古屋高裁の部総括だったとき、あるいは、稲田判事が名古屋地裁の部総括であられたとき、判決を受けたことがあるからだ。

私が上記お二方らから受けた判決事案は、いずれも「イソ弁」時代(弁護士成り立ての頃、平成5,6年)のことで、いずれも「負け筋」=「無理筋」の事件であった。石原ボスから「北口くんがやってくれ。難しいことはわかっている。和解でいいから何とか形にしてくれ。」と言って、「石原事務所の知恵袋(?)」(とは誰もいってくれなかったが)である私に、―約3名の兄弁を差し置いて(?)―お鉢が回ってきた。

稲守裁判長の判決事案は、第1審敗訴後の控訴審からの受任事件で、実質的には地方公共団体(岐阜県の公社)が相手方当事者で「公序良俗違反」を主張したが、和解もしてもらえず、負けた(イソ弁時代の『数少ない』敗訴事件のうちの一つだ ―イソ弁時代は、6年間で2件しか敗訴判決を受けた覚えがない―)。だが、稲田部長の判決事案の方は、当方を勝たせてくれた。「借用証書(=直接証拠)のない」貸金返還請求訴訟だった(相手方当事者の書証の偽造立証に成功した。)。石原ボスには、まあ、いろいろ「(事件受任を)断れない内情(依頼者との腐れ縁)」があったようだ(ブログでは書けない。)。