北口雅章法律事務所

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「鮟鱇(あんこう)の 骨まで凍(い)てて ぶちきらる」

 

先日(冬の寒い日)、行きつけの鮨屋に出向くと、ガラスケースの中に鮟鱇の頭が入れられていたことから、標記の一句(「鮟鱇(あんこう)の 骨まで凍(い)てて ぶちきらる」)を思い起こした。

 

店主によると、「鮟鱇は深海魚で、ホラね、提灯がついてますよ。この光におびき寄せられて、近寄ってきた生物をガブリと丸呑みにする。」のだそうだ。店主の人差し指の上に載っているのが、鮟鱇の提灯、とのこと。

鮟鱇は、冬の季語。
「鮟鱇が骨まで凍(こお)るほど、寒い時期、調理でぶち切られていく」という殺伐とした加藤楸邨の句は、中学校の教科書に出てきたような記憶がある。この句が詠まれた昭和24年(1949年)当時、加藤楸邨は、病身(肋膜炎)で療養生活を送っていた、というから、ご自身の病身を、解体過程にある鮟鱇と重ね合わせて、自嘲的な思いで詠んだのか?

俳人が、句に「動物の描写」を読み込むときは、大抵、客観的に眺めるのではなく、自分に重ね合わせて詠むことが多いようだ。その例が、芭蕉の
「初しぐれ、猿も小簔を欲しげ也」(『猿蓑』巻頭句)
がある。
伊勢から伊賀上野に向かう山中で、雨が降り出した。
冬が近づいて肌寒い中、猿が小さくなって震えている。
その猿を見て、「お前も小簔が欲しいよな。」と思いやった句であるが、わびしげな猿の姿に、芭蕉自身が、自身の姿を重ねあわせていると解釈できる(嵐山光三郎『超訳 芭蕉百句』参照)。

 

この作家(田口登氏)も、実は、大道芸の猿と、「女房の小言」を聞き流す自分とを重ね合わせていないか?