弁護士のブログBlog
双六地蔵堂の円空仏 その2
- 2025-08-01
先のブログで書いたとおり、双六地蔵堂(尻高地蔵堂)に安置されていたにもかかわらず、盗難にあった円空仏のうちの一躯は、不動明王だったとの由。上田豊蔵論文「上宝村と円空仏」(円空学会編『円空研究=4 特集飛騨』所収)によると、この不動明王は、「近くの老婆が祈願によって眼病が全快した、と厚く信仰されていたものである。」とのことであるから、是非とも、拝顔したかった。
もっとも、盗難にあった不動明王像の像容は、想像がつかないわけではない。理由は、次のとおり。
上掲・左は、千光寺に遺る不動明王立像の三尊像、上掲・右は、岩船不動堂(丹生川村柏原)の不動明王。いずれも、双六地蔵堂の存在した不動明王と同じ時期、つまり、円空の晩年(元禄期)、近隣で造顕された像であり、盗難後も双六地蔵堂に残された不動明王の像容(宝髻を結い、宝剣を持つ右手は右腰付近、羂索を掴む左手は殆ど屈曲させず、腰付近に垂らす)とも、相互に類似していることに照らし、同様の像容であったと推察される。人間年を取ると、たとえ円空であっても、「斬新な」像容を発想することが困難となる反面、技術の円熟期に、なお理想に近づけようとすれば、自然と同じ傾向の像容が形成されるはずだからである。
もっとも、円空の場合、上記のような常識的な想像では、計り知れない面がある。何故ならば、盗難にあった不動明王は、その高さ(90㎝)に照らし、当然に「立像」であろう思いきや、上田論文によれば、双六地蔵堂(尻高地蔵堂)から盗まれた不動明王は「坐像」だった、というからである。そうすると、上掲・右の岩船不動堂の不動明王も、実は坐像なのかな?
上田論文では、円空が「尻高(しりたか)」で詠まれたという、和歌が紹介されている(ただし、その和歌の意味については、説明されていない。)。
うつしおく たかしりたかの 神ならぬ
御形(みかげ)再拝(さいはい)万代(よろづよ)までに
[1268]
ここで、「たかしりたか」とは、「高知(たかしる)」(神殿が高々と威容たっぷりに造営された様)と「尻高(しりたか)」(地名)とが掛けられている。したがって、[歌意]は、「高々と造営された[天の]神殿に連なる、尻高におわします神を、この不動尊像に入魂しました。万代の後の世まで、人々に再拝してもらえますように。」と理解される(と思う)。