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アインシュタイン先生(Albert Einstein)と名古屋
- 2026-02-04
このほど、「(小川)雅魚」先生【註1】から、雅魚先生が棲息する愛知県渥美半島先端の地誌にまつわる「昭和の記憶」(戦前・戦後)を集め、雅魚先生が編集された「天白の水をはさんで 中山・小中山今昔散歩」(シンプリブックス出版)【註2】をお贈りいただいた。
いろいろ興味深いことが書かれているが、なかでも、旧日本陸軍砲工学校の石井純教授(当時30歳)が、同校の学生の弾道演習の視察のため、渥美半島の先端【註3】に存在した、伊良湖の射場を訪れたときの随筆『伊良湖雑記』が一部紹介されていた。
石井純先生は、アインシュタイン先生(Albert Einstein)と親交があり、後に同先生の相対性理論を我が国に紹介された「気鋭の物理学者」にして、「アララギ派の歌人」でもあるとのことで、上記随筆『伊良湖雑記』は、石原純先生の随筆集『夾竹桃』(昭和十八年)に掲載されていると紹介されていたので、買って読んでみた。

アインシュタイン先生が日本に招聘されたのは、第1次世界大戦後まもない大正10年(1921年)のこと。当時、世界中から引っ張りだこであられたアインシュタイン先生を日本に招聘できたのは、同先生の東洋への興味と、石井純先生からの親書が奏功したもよう。アインシュタイン先生は、同年10月8日にマルセイユ(フランス)出帆の北野丸に搭乗して、同年11月17日に神戸に到着、12月29日、門司(北九州)で榛名丸に乗船して、帰国の途につかれた。この間のことが、石井純先生の上掲・随筆集でも、断片的に紹介されていた。

ちなみに、この間、アインシュタイン先生は、当地・名古屋にも来られていたらしい。

「…名古屋城の金の鯱も(Einstein)教授にはさほど注目を惹かなかったので、むしろその形態の趣きや、城の屋根瓦が波のような感じをもつことをよろこばれました。そこに尊ぶべきものは材料の値高さではなく、人間の心のあらわれであると信ぜられていたからです。」

「…(Einsteinは)名古屋城内で襖に描かれた虎の絵を見て、『経済学者の顔のようだ』と云われたり、熱田神宮で手洗の浄水留めを見て、『神聖の水は危険だ』と揶揄されたり、…」
【註1】
「渥美半島の風」;小川雅魚(まさな)さんの正体は? | 弁護士ブログ | 名古屋で医療過誤のご相談は 北口雅章法律事務所
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【註2】

【註3】赤色矢印が、伊良湖の射場があった場所
