北口雅章法律事務所

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誤用される「検閲」概念

あいちトリエンナーレ2019の
企画展「表現の不自由展・その後」における
大村・愛知県知事の「??な」発言等を契機として,
「検閲」概念が誤用・濫用されるようになった。
まったくウンザリだ。

この作者も 「検閲」概念の「無知」から,恥ずかしげもなく誤用している。

主催者たる公立美術館が,公金で運用される公共施設の性格上,
その主催する美術展覧会の展示物を選別することは当然の責務である。

展示を拒否された作者は,自らの作品の写真をインスタグラムにアップできるし,
朝日新聞や,中日新聞に頼めば,ありがたいことに上掲記事の如くに公表してくれる。
自らの作品に,真に優れた「芸術的価値」があると自信をもっていえるのであれば,
自らの作品の写真をインスタグラム等,SNSでアップし,
「私の自宅・アトリエで展示していますので,いつでもどうぞ。」と宣伝すれば,
自宅・アトリエに行列ができるであろう。
このような形での公表が禁止されていない以上,
「検閲」とはいえない。
作者は,自らの作品の芸術性に自信があるならば,
広島トリエンナーレ実行委員会に掛け合って,
出品を交渉されればいかがか。

まして,「多種多様な若い世代が萎縮する」というのは,全く理解に苦しむ。
自らの作品に自信があれば,自由に描いて,
SMSでアップすればいいだけの話ではないか?

ちなみに,「検閲」とは,どのようなものか?
日本全国どこでも,いかなる手段を使っても,公表できず,
閲覧・閲読できない事態を指す。例えば,・・・

丸山眞男先生の論文の中に,「検閲」が出てくるので紹介しておきたい。

丸山先生は,戦前からアメリカの有名な自由主義的週刊誌『ネーション』を愛読されていた。

当時,雑誌『ネーション』は,アメリカ言論界を代表する雑誌で,外に対しては,日独伊を前衛とする国際ファシズム勢力を痛烈に弾劾していた。ラスキ(註:著名なアメリカの政治学者)などもしばしば『ネーション』にブリリアントな論考を寄せていた。
「しかし,やがて日米関係の急速な悪化によって,その颯爽たる筆鋒に接する機会は私達日本の読者から強制的に遠ざけられてしまった。検閲で無残に引き裂かれた頁を恨めしく眺めるうちはまだよかったが,間もなく配達はバッタリ途絶えた。」とのこと。

<出典> 「ファシズムの諸問題―その政治的動学についての考察―」
 《丸山眞男集・第五巻 1950-1953,岩波書店》