北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

最高裁長官も所詮「平目(ヒラメ)」か。

最高裁長官は,日本司法界のトップであるが,
自らの栄達・自己保身のためには,
平気で「自らの信念」を曲げるものらしい。

日本司法の「堕落の根源」は,
歴代・最高裁長官の「信念の欠如」と無関係ではないものと思う。
司法の内情に関する「告発本」を読むたび,つくづく思う。

 

例1.町田顯長官(第15代)

 平成16年(2004年)10月18日,町田長官が新人判事補に対する辞令式で述べた訓辞は有名だ。上級審の動向や裁判長の顔色ばかりうかがう『ヒラメ裁判官』がいると言われる。私はそんな人はいないと思うが,少なくとも全く歓迎しない。と。
 しかし,皮肉なことに,この『ヒラメ裁判官』の揶揄こそ,町田長官に対する批判に使われる言辞だという。町田裁判官は,若い頃,青年法律家協会裁判官部会(いわゆる「青法協」)の会員であり,自らも,「われわれは何故,青法協に入るのか。」という文書で,新人判事補を勧誘していたが,最高裁から,「将来,高裁長官や最高裁判事をやってもわにゃならんのに,青法協と一緒になって日本の司法を左傾化させていいのか。」などと恫喝されるや町田裁判官はなぜ,青法協を辞めるのかという趣旨の退会理由書を最高裁に提出していたという。そして,それでも,自らの出世が遅いと思ったのか,日弁連の「弁護士懲戒委員会」の関係で同じ委員だった法曹関係者に対し「僕は,高裁長官にはなれないのかねえ」と愚痴をこぼしたという。これほどまでに上司の評価に気を揉んでいたのは,若い頃,青法協の会員だったことに起因する,とのこと。
(岩瀬達哉著「裁判官も人である」167頁以下)

 

例2.矢口洪一長官(第11代)

 昭和47年(1972年),愛知県蒲郡市のホテルで,全国新任地家裁所長の研修が行われた際,矢口供一判事(当時最高裁人事局長)は,田宮重男判事(25期司法修習・民事裁判上席教官)と,石川義夫判事(司法研修所教官)に対し,「裁判所の諸悪の根源は,歴代(最高裁)事務総長が最高裁判事に栄進することにある。」と繰り返し断言したという。その理由は,要するに,「最高裁事務総長には,長年事務総局に籍をおいて,司法行政事務には通暁しているが,司法裁判官としては,“現場裁判の”経験の少ないものが任命されるが,その歴代最高裁事務総長が,司法裁判に熟達した“現場の”裁判官を差し置いて最高裁判事になることは,司法裁判に専心している“現場の”裁判官たちの間に不満を醸成し,事務総局と“現場の”裁判官との間に抜きがたい不信感を生んでいる。それ故,最高裁事務総長には,総局メンバー以外の者を当てるか,一旦事務総長になった者は最高裁入りを諦めるかにすべきである」という論旨である。
 ところが,矢口判事は,その舌の根の乾かないうち事務次長,事務総長を経て,最高裁判事となり,ついには最高裁長官の席を冒すに至った。」
 しかしながら,「矢口氏の事務総長就任までの裁判所在職年数約37年のうち裁判実務経験は合計してもわずか6年余りに過ぎなかったのであるから,蒲郡での彼の所説に従えば,彼(矢口氏)は事務総長への就任を断るか,それを拒否しないで事務総長に就任したなら,その任期を終えた後,最高裁判事への任命を断るべきであった。田宮氏と私に言ったことと,その後の彼の身の処し方との間にはあまりにも大きな懸隔がある。」との批判は至当である(石川義夫著「思い出すまま」194頁以下参照)。

 

例3.竹崎博允長官(第17代)

 泉徳治元最高裁判事によると,陪審制導入は,死刑判決が再審で無罪となるといった事件が4件重なったこと(免田事件・財田川事件・松山事件・島田事件)をうけて,矢口供一最高裁長官が提唱したことらしい。その理由は,陪審制であれば,国民が判断したことになるので,仮に再審無罪となっても,批判の矛先が陪審員に向けられるので,裁判官はその批判をかわすことができる,という政治感覚にあった。このような矢口長官の「本音」を知らされず,「陪審制度」や「再審制度」の調査研究のため,若い裁判官らが「特別研究員として」諸外国に派遣されたが,このうち,アメリカ合衆国へ派遣され,帰国後の報告書において,陪審制度を徹底的に批判したのが,竹崎博允判事であった。
 ところが,竹崎氏は,いわゆる司法制度改革審議会意見書を踏まえて,「思想転向」し,裁判員制度導入の中心人物となった。かくて,竹崎氏は,1997年から2002年まで最高裁経理局長,2002年から2006年まで最高裁事務総長,2年の名古屋高裁長官・東京高裁長官のキャリアを経て,2008年,「14名の先輩最高裁判事を飛び越して」最高裁長官になる,という極めて異例の「出世」をした。それとともに,裁判員制度導入後は,「上意下達システムの要(かなめ)となる」最高裁事務総長と秘書課長(兼広報課長)という「二つのポストは刑事で押さえる」という方針のもと,刑事系裁判官を人事上優遇したり,民事系で比較的優秀な裁判官を本人の意向もきかずに刑事系に転身させるなど,露骨な情実人事が行われるようになり,「裁判官全体のモラル,士気,能力の低下が進行」していると批判されている。
(瀬木比呂志「絶望の裁判所」75頁以下,岩瀬・前掲著262頁以下等参照)。

 

ちなみに,

田中耕太郎・最高裁長官(第2代曰く「裁判は法廷に限定され,事実認定も,法学的素養と訓練のない特定人や一般大衆の判断に権威を認めるわけにはいかない」とよ。―― 夏樹静子「裁判百年史ものがたり」より