北口雅章法律事務所

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消えゆく名古屋の原風景「四間道(しけみち)」

 先のブログで紹介した新家猷佑著「元禄時代の世情譚」(中日新聞社)の第六話(「似た者主従」)の中で,主題とは直接関係ないが,さりげなく「元禄の大火」「四軒道(しけみち)」の話に言及されている。

元禄13年(1700年),名古屋城の南西から南北に流れる堀川の右岸にある信行院(専修寺名古屋別院)付近から出火して,広井村(現・名古屋市西区)の周辺区域184町1669軒を焼き尽くした大火災,世に言う“元禄の大火”が発生した。このため,「辺りは名古屋城下続きのため,堀川右岸沿い2本目の南北に走る通りは,大火の後,道幅が四間(注:1間=6尺≒1.82m×4=7.82m)に広げられ『四間道(しけみち)』と呼ばれる。」(前掲書112頁)と。

 そして,この四間道付近は,幸いにも戦災(名古屋大空襲)による被害を免れ今も,江戸時代の名古屋の風情を残す・・・と本には書かれているが,数年前,私が聞いているところでは,河村市長の文化財保護に向けた願い(説得)も虚しく,この「町並み保存地区」の重要な一角(黒い土蔵2棟)が,建物所有者の意向によって取り壊されることになった,とうかがっている(下掲写真は,建物所有者の建物改築計画を撤回するよう説得していた当時に私が撮影・記録しておいた合成写真。)。

 

 『四間道』の東側の土蔵群は,「白と黒」のコントラストが美的に素晴らしく,尾張名古屋の情緒を醸し出していたが,黒い土蔵2棟の取り壊しは,この「町並み保存地区」に致命的な打撃を与えることは必定である。
 ところが,遺憾ながら,景観法に基づいて策定された名古屋市景観計画によれば,景観重要建造物の指定するにも,「建物所有者の同意」が条件とされている関係で,たとえ保護区域の景観が破壊されようが,その所有者の翻意なき限り,名古屋市としては,挙手傍観せざるを得なかった。嗚呼。

 

上掲写真は,堀川の「左岸」の町並みを,2枚の写真を合成して,パノラマ的にあらわしたもの。