北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

無風静寂の森

無風静寂の森

        串田孫一

私は,古い山靴が少しもぐる程度の雪を踏んで森へはいって行った。森の道には,だれの足跡もなかったが,何となくそこが道であるのがわかった。それももう一度か二度,この上にさらに雪が積もれば見分けもつきにくくなってしまうであろう。しかし,私は,道らしく思えるうちは,故意にそれを避けることもあるまいと決めて進んでいった。

時々,木の枝の雪が落ちたが,音もたてず,途中で軽い粉となってあたりへと散った。山に居残る冬鳥がその枝へとまろうとしたのでもなく,また風が吹き込んできたからでもなかった。無風静寂の中でこそ,雪は自らの意志をこうして示そうとしていた。

私はうっすらとした満足感を味わいながら,足をとめずに歩いて行くと,道がゆるやかに曲がっている前方にざわめきを感じた。それは音として伝わったのではない。また,何かを目撃したのでもない。それはほんの一瞬のことで,改めて耳を澄ましても,森は何事もなく鎮まり返っていた。

あまり静かすぎると,こんなざわめきが感じられるものかと思って行くと,そこに霊神の碑が立ち並んでいた。それは大ざっぱにも数えられるような数ではなかった。

こんな雪の積もった日に,まさか人の来ることもあるまいと何か退屈しのぎにたくらんでいた霊神たちが私の姿を見て,ざっとめいめいの碑の中へ隠れた,その瞬間のざわめきだったに相違ない。

 

(追記)

「喪中はがき」が届いたからか,兄弁(前愛知県弁護士会・会長)が,
「お供え」にと線香を贈ってくだすった(ありがとうございます!)。
で,久しぶりに実家に帰り,亡父の仏前にお供えした。
その後,昔私が使っていた部屋に入り,書棚に置いてあった自分の日記を開くと,
串田孫一(随筆家)の前記エッセイがメモ書きされていた。
あの当時,串田孫一の詩的な文章を好んで読んだ。中日新聞のサンデー版に,
毎週,彼のエッセイが,緑川洋一(写真家)の写真とともに掲載されていたかと思う。
われわれの世代で「中統」と聞けば,中学時代の中部統一試験が思い浮かぶが,
世代が違うと「中統」では通じないかもしれない。
記憶違いでなければ,前記エッセイは,新聞記事からの切り抜きではなく,
中統の問題集からの抜き書きではなかったかと思う。