北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

円空の人生航路

「円空の人生航路」を考える上では「3」の数字が,マジック・ナンバーであり,キーポイント(重要な着眼点)になると思う。

何故か。

円空は,神仏像の彫像活動の上で,3歳,4歳,5歳,6歳の各時期がそれぞれ重要な転機となっており,かつ,各「―歳」のそれぞれ「5年後」,つまり,38歳,48歳,58歳のときに,各々重要な宗教的体験をしているからだ。このような,枠組を念頭において,円空仏を鑑賞することで,「円空の人生航路」と,その時代背景との相関が頭に入り易くなり,円空が遺した数多くの神仏像の理解が「点と点」あるいは「点と線」(松本清張)だけの断片的なものになりがちなところ,構造的に理解するのに資するように思う。

具体的に説明しよう。

<初期:3歳からの10年間>

まず,円空が,歳(寛文4年)のとき,
円空は,岐阜県郡上市美並町を基に,本格的に神仏像の彫像活動を本格的に開始した。その前年(寛文3年,32歳時)に造顕された神明社の3神像は,彫像活動の端緒(試作)にすぎない。そして,円空35歳時,神仏像の彫像活動を本格的に展開させた場所が,東北・北海道であった。

その「5年後」,
つまり円空38歳(寛文9年)のとき,円空にとって重要な出会いがある。それが中国の亡命皇族にして,医師でもあった振甫との出会いである。張振甫は,鉈薬師堂を再建時,薬師三尊像の造顕を円空に依頼し,その材料として,徳川光友公(第二代・尾張藩主)から官材の下賜を受けていた。かくて,円空独特の仏像が創造されるに至る。

したがって,初期の円空仏については,「円空33歳からの10年間」を,鉈薬師堂での造顕活動前までの「寛文前期」と,鉈薬師堂以降の「寛文後期」との,2期に区分して認識するのが適切である。

<中期:4歳からの10年間>

次いで,円空の彫像活動の上で転機となったのが,歳時(延宝2年)である。
この冬,円空は,「笙の窟」での荒行に挑む。そして,円空は,この荒行の後,三重県志摩半島に向かい「大船若経」の修復作業に着手し,その過程で,円空仏特有の仏像の簡略化,抽象化が試みられることとなった。そして,このときの作風の変化が,荒子観音での造顕活動に連なる。

かくて,その「5年後」,
つまり,円空48歳時(延宝7年),円空は,重要な宗教的体験をする。これが,「白山神の御託宣」である。それと同時期,円空は,園城寺(滋賀県大津市)の住職・尊栄から「仏性常住金剛宝戒相承」の血脈をうけたことで益々自信を持つに至る。このような精神的充実・創作意欲が,中観音堂の名作の背景にあり,関東での巡錫・彫像活動にていかんなく発揮されたものと考えられる。

そこで,「円空43歳からの10年間」は,白山神の御神託前後で区分し,それまでの前半を「延宝前期」,その後半を「延宝後期」として,時代認識するのが適切である。

 

<晩期:5歳からの10年間>

そして,次に訪れた円空の転機は,歳(貞享元年)である。
転機というほどのことではないのかもしれないが,この年,円空は,岐阜県美濃の高賀神社に比較的長く逗留し,多くの和歌を詠んでいる。そして,その翌年(貞享2年)には,飛騨・高山市の千光寺に逗留している。つまり,53歳時以降,円空は,高賀神社と千光寺という岐阜県内の2大拠点を軸として,比較的落ち着いた限られた活動範囲のなかで,次々に晩年の名作を造顕していったものと見受けられる。

53歳から「5年後」の58歳(元禄2年),円空は,ついに,園城寺にて,天台密教最高の血脈を授かる。弥勒寺(関市)に残る「授血集最秘師資相承血脈譜」によれば・・・,だが。そして,これに続く,元禄年間,円空は,飛騨の高山市,下呂市等を巡錫して,円空の晩年の名作が続々に生み出されていく。

「円空53歳からの10年間」は,前半の5年間が「貞享年間」に相当し,後半である円空58歳からの5年間が「元禄年間」に当たる。

 

<6歳以後>

かくて,歳時(元禄7年),円空に何が起きたか?
実は,円空は,その前年に,造顕活動は終えていたと思われる。
すなわち,円空は,その前年(63歳時),造仏歴30周年を迎え,弥勒寺(岐阜県関市池尻)にて入寂準備(弟子円長への血脈承継等)に入っていたと思われる。
 そして,その翌年(64歳時),円空は,入寂している。

 以上,いささか,技巧的な整理かもしれないが,このような「枠組」を頭に入れ,全体像を掴んだ上でないと,円空仏の多様性を構造的に理解し,その時代背景と円空自身の人生航路の中で位置付けるのは難しいように思う。

円空研究の先達達は,おそらく頭に入っているのだろうが,研究者によって,時代区分は区々であり,上記のような明確な区分はみかけなかった。このため,私が独学で,上記のような理解に到達するのには,それなりの時間と思考を要した。御批判があれば,仰ぎたい。