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円空が,大峯山の岩屋で,詠んだ歌

円空は,延宝元年(1673年)から翌2年にかけて,山岳修験道の修行場で知られる大峯山の「笙(しょう)の窟(いわや)」で,厳寒の冬を越すという荒行に挑んでいる。そして,このときに詠んだとみられる歌をいくつか遺している。
いずれも難解で,注釈書もないため,真意を探るのは悩ましいが,私の解釈(試訳)は,次のとおり(異説をお考えの方は,ご教示ください)。

こけむしろ笙窟にしきのへて長夜のこるのりのとほしミ(五七〇)

[解釈]大峯山の岩屋[笙窟]では,筵(むしろ)を敷いたように苔が生えている。長い夜が続くように,仏法(のり)の験を得るまでの道程は遠いものだ。※註:「のりのとほしミ」は,一宮史談会発行「本底 円空上人歌集」の表記に依ったが,長谷川公茂著「円空の生涯」(人間の科学新社)102頁では,「のり(法)のともしひ」と読み替えられている。

唐衣笙窟に打染てこのよはかりハすミそめのそで(五七一)

[解釈]かつて慈円大僧正(天台座主)が,「おほけなく うき世の 民(たみ)に おほふかな わがたつ杣(そま)に 墨染(すみぞめ)の袖」と詠まれたことが私にもできるように,今世では,大峯山の岩屋[笙窟]を袖の墨で打染める覚悟で修行に打ち込むばかりだ。
(※「唐衣(からころも)」は「袖」にかかる枕詞)

千和屋振る笙窟にミそきして深山の神もよろこひにけり(五七二)

[現代語訳](厳寒の冬に)大峯山の岩屋[笙窟]にて禊ぎ(みそぎ)をしたら(川に入って,水で体を洗い清めたら),大峯の神も歓喜してくれた
(※「千和屋振る」は「神」に関する語にかかる枕詞)

しつかなる 鷲窟に 住(み)なれて 心の内は 苔ノむしろ□(六四一)

[現代語訳]閑静な大峯山の岩屋(鷲窟)に住み慣れた。心の中は,苔の筵(むしろ)状態だ。

※この歌について,梅原猛先生は,「(円空の)心の中にも苔が生えて仙人のようになったということ」かと解釈されているが(「歓喜する円空」331頁),自然(=神の宿るところ)と同化できた,という意味であろう。