北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「法科大学院・卒業組」は「養殖」ものか。―大分での“フグ”の思い出―

法科大学院教育を経た法曹資格者「養殖」に喩え(たとえ),
「法科大学院で判例中心の教育を受けなくても,法学部での講義聴講と自習でそれが可能である天性の法曹的センスの持ち主」(当初の「予備試験組」がこれに当たる。)を「天然物」として対置させてみえるのは,
棟居快行先生(専修大学法科大学院教授,元神戸大学法学部・行政法教授)だ。
(判例時報2345号141頁以下)

棟居先生の比喩は,「言い得て妙」というべきであろう。

 一般的な価値感覚(おそらく棟居先生も同様の価値感覚であろう。)では,「養殖物」と「天然物」とでは格段に価値が異なる。例えば,私が司法修習で配属された大分県では,大分弁護士会の諸先生方から,「フグ(河豚)」をご馳走になる機会が複数回あったが,フグでも,両者の価値の違いは歴然としていた。私は,幸運にも,弁護修習では,T弁護士のもとに配属され,弁護修習期間中,「天然物」の「フグ」の「フルコース」を約5回ほどご馳走になった。今の寒々とした弁護修習状況に比べると,正に「夢のような」修習時代だった。T先生は宣われた。「弁護士会の司法修習委員会が宴会場に使っている,フグ料理の店で出てくるフグは,全部『養殖物』じゃあ。大体,8000円から1万円程度の値段じゃ。が,ワシが連れていく料亭のフグは,違う。全部『天然物』だから。2,3万円はするぞ。」と。

 もっとも,最近は,養殖物と天然物との関係は,かつての関係とは随分と異なってきているようだ。すなわち,最近は,天然物の魚でも,アニサキス(寄生虫)による食中毒の危険が社会問題化している反面,養殖物の魚の方が衛生面で安全であるという面があり,養殖物でも,養殖技術の進歩によって,身が締まって,脂がのって美味い魚介類も流通しているからだ。
(ちなみに,最近は,「天然物」であるはずの「予備試験組」のレベルも怪しく,予備校教育などにより,「特別のセンスの持ち主でなくても」「予備試験経由の合格」が可能となってきている,と棟居先生も指摘されている。)

 

先日,「フグ毒 肝に銘じて」と題する新聞記事(愛知県蒲郡市のスーパーが販売していたフグに有毒の肝臓が含まれていたことについて,食品衛生法違反が問題となった旨の記事)に接して,大分での司法修習時代を懐かしく思い起こした。

 先にも書いたが,大分での司法修習(いわゆる研修)時代は,今ふりかえると,正に夢のような「幸せな時代」であった。われわれ大分修習の修習生仲間4名は,弁護修習期間の4ヶ月間,当時,大分県弁護士会でご活躍されていた弁護士先生の各法律事務所を順繰りに訪問し,「毎週・毎週」,週に数回の大ご馳走にありついていた(地元出身の修習生が,弁護士事務所に電話し,「修習生4名でうかがいますので,先生の事務所を訪問させてください。」といえば,「ご馳走期待してます。」という裏の意味も含まれていた。)。当時の弁護士は,皆さん,裕福だった。毎回毎回,大ご馳走が出るので,そのうち,修習仲間のうちの約2名は腹を壊した。そして,約1名が風邪をひいてしまい,「食えない」状態のときに,私が「ご指名」させていただいた,河野善一郎先生の事務所訪問の日が来てしまった。
下関に負けず劣らず,大分は,フグの名産地であり,とりわけ大分では,フグの「肝(きも)」を食材とする伝統的な食文化があった。そして,大阪方面のフグ中毒が問題となったとき,大分県の県条例で,フグの肝の食材提供を規制する動きがあったのに対抗して,当該条例規制を阻止する運動の先頭に立って,条例化を阻止されたのが,河野善一郎先生であった(とうかがっていた)。私は,連絡担当の修習仲間に対し,「河野先生に対し,事務所訪問の企画を打診する際は,『河野先生が,フグ規制条例を阻止されたときの武勇伝をお伺いしたい!』と申し向けておいてくれ。」とリクエストしておいたところ,河野先生は,案の定,私の期待に応えるかのように,われわれ修習生4名を,フグ料理の専門店にご招待してくださった。
 そして,天然物のフグのフルコースのみならず,フグの「肝の山盛り」が,河野先生を囲むテーブルの真ん中にドカンと置かれていた。ところが,その日,偶々,私を除く,修習仲間3名は,前記諸事情から,自分のフグを食べるのが精一杯の状態であった。私は,「こんな高級料理を残すのは失礼だ!」という責任感から,フグの「肝の山盛り」を,たった1人で全部平らげた。美味かったが,その日,さすがに私も,ついに熱を出してダウンした。栄養価が高すぎたのだ。今思い返しても,「夢のような」修習時代だった。

 棟居先生の「司法改革」による「法曹養成制度」,否,「法曹『養殖』制度」の失敗に関する指摘,具体的には,もはや「立法事実」(「法曹人口増が喫緊の課題である」とされた,司法改革という立法の根拠となった事実)など全く存在せず,単なる空想の産物に過ぎなかったことは「自明である」といった指摘に始まり,「法科大学院を経由した司法試験合格者の弁護士資格の『格下げ』をもたらす結果となった」,「『二級弁護士』的な風評」,「アスファルトに豪雨が降り注いだような立法ミス(注:弁護士の急激な大量増員のこと)」に関する分析は鋭く,的確であるため,このブログでも要旨を紹介しようと思っていた矢先,話が逸れて,司法修習時代の「フグの思い出」話に終わってしまった。大分県弁護士会の諸先生方,大変お世話になりました。

今日は,疲れたので,このへんで「お開き」にします。 平成30年1月18日記。