北口雅章法律事務所

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東大病院・梅毒輸血事件判決を読む

 いわゆる東大病院・梅毒輸血事件判決は,医療過誤訴訟を扱う弁護士であれば誰もが知っている,「医療訴訟の原点」ともいうべき最高裁判決である。この最高裁昭和36年2月16日判決こそ,「最高裁判所が医師の過失について,実質的な判断を下した最初の重要な判決」である。

 この最高裁判決によれば,「いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は,その業務の性質に照らし,危険防止のために実験上(≒経験的にみて)必要とされる最善の注意義務」が要求される。だが,このような「理想主義」的な判断は,その後,遺憾ながら「医療水準」論とか,因果関係における「高度の蓋然性」論のような「修正主義」的判決によって「骨抜き」にされた,とまではいわないが,著しく形骸化されてしまった。

 明日は,大学医学部の五回生を相手に,「医療裁判の実情」について講義することになっている。そこで,初心にかえって,東大病院・梅毒輸血事件判決を読み返してみた。私のように年を重ねてくると,このような歴史的な最高裁判決を読みかえすと,当時の,様々な社会的背景が想起され,当時の「時代の空気」を察することができる。そして,この最高裁判決が,医学界の猛反発をものともせず,いかに「司法の矜恃」を顕現させた,立派な判決だったか,としみじみ思う。

 この事件で,医療被害にあい,国(東大病院)を訴えた女性は,事故当時,高等女学校等に勤務する茶道教授の社会的地位や,華道指南の免許をもつ,知性と教養に満ちあふれた「模範的な」女性であったことが窺い知れる。事故発生は昭和23年2月で,戦時中のことである(注:ポツダム宣言受諾=敗戦は昭和25年8月15日)。したがって,彼女は,おそらく明治末か大正のお生まれであろう。
 昭和23年2月5日,彼女は,子宮筋腫と診断され,東京大学医学部付属病院に入院し,同月7日,8日,9日,および27日の4回にわたって,体力補強のため輸血を受けた。ところが,実は,その最後に受けた27日の輸血を供給した供血者が,同月14日頃,上野駅付近で売春婦に接し,梅毒に感染してしまっていたのであった。このため,彼女も,梅毒に感染し,視力減退・歩行障害などの後遺症を発症し,夫との円満な家庭生活は破綻し,離婚のやむなきに至ったというのだ(今の時代であれば,離婚事由にはならないであろうが。)。

 東大病院側(国)の言い分は,①当該血液供給者が「血液斡旋所の会員証」及び,血液検査所発行の検査証明書(2月12日付け,血清反応検査で梅毒陰性とされていた。)を所持していたこと,したがって,担当医としては,改めて血清反応検査はしなかったものの,②「身体(からだ)は丈夫か」という質問をしており,当時の医療慣行としては,当該①②の手続を踏んでいれば,輸血が認められていたことを挙げていた。

 ところが,1・2審とも,原告勝訴。「身体(からだ)は丈夫か」と聞いただけでは,「梅毒感染の危険の有無を推知するに足る事項」を問診したとはいえない,というのが国側敗訴の理由だった。

 これに対し,国(東大病院)側が,上告した。
 上告理由書によれば,東京大学教授緒方富雄博士の鑑定意見書が付けられており,要するに,「女と遊んだことはないか」というような露骨な問診によって肯定の回答を期待するのは,供血者の羞恥心に鑑み,一般に不可能だ,という論旨である。

 だが,最高裁は,医学界の猛反発を尻目に,上述のとおりいやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は,その業務の性質に照らし,危険防止のために実験上(≒経験的にみて)必要とされる最善の注意義務」が要求される,それゆえ,梅毒感染の危険の有無についても問うべきだ説示して,国(東大病院)側の上告を棄却し,国側を負かせた。

最高裁の上記判決は,やはり正当・正論である。
上記の供血者は,職業的給血者,つまり,自らの血液を提供する対価としてお金をもらっていた。であれば,医師としては,職責上,輸血対象者の保護の観点から,当該供血者に対し,明確に問診すべきである。
私が,医師であれば,次のように問う。
「『ひょっと』ということがあるので,念のため『医師の職責』として確認しておきたいのだが,この陰性の検査証明書の発行を受けてから,今日までの間に,梅毒に感染するようなマネはしていないよね?」と。