北口雅章法律事務所

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「私のほほえみ仏」

 昨日,東京出張の折,新幹線(のぞみ)に乗ると,座席の前の網に入っている「ひととき」に自然と手が伸びる。パラパラッとページをめくって見ると,「鎌倉,ほほえみの美仏」という特集記事に多くのページ(写真と紀行文)が割かれていたが,その一連の記事の中に,思いがけず円空仏の写真が出ていたので,眼が止まった。

「仏像に詳しい4名のクリエーター・研究者」が,各々「私のほほえみ仏」と題して,印象に残る「ほほえみ仏」の紹介記事をのせていたのだが,そのうちの1名・小野佳代さん(東海学園大学文学部教授・日本彫刻史研究者)という方が,荒子観音寺(名古屋市中川区)に遺されている,円空の修復仏を紹介されていたのだ。
 曰く「顔が摩滅し手をなくした」「平安時代後期の菩薩立像」の顔に,円空が「目鼻口を刻み,右手まで修復していたのである」が,「円空が掘り出したほほえみの表情が平安仏の姿と見事に調和」している,などと紹介されていた。

 

荒子観音寺に遺る円空仏の数は,群を抜いて多く(小島先生によれば1255体),名作が少なくないので,「修復仏」を推す方はめずらしい。荒子観音寺は,天平元年(729年;聖武天皇の時代),泰澄によって創建されたとされる古刹であるから,平安時代の仏像が摩耗して遺されていても不思議ではない(小野氏は「菩薩」像とされているが,当時流行の信仰と頭部の像容からすれば,「観音」であろう。)。

 魅力的な修復仏には違いないが,「円空が掘り出したほほえみの表情が平安仏の姿と見事に調和」しているといえるのか。小野氏は,「像のもつ穏やかな雰囲気を壊さないように修復したのではないかと思った。」と書かれているのだが・・・。
 確かに円空の修復は,殆ど「必要最小限」にとどめられており,軀体全体は,荒れ果て,激しく劣化した「掘り出し物」のような平安時代の古仏のままである。
 しかしながら,それにもかかわらず(「必要最小限」の補修にもかかわらず),私には,「慈悲の微笑」の印象が強烈すぎて,もはや像全体が,良くも悪しくも「円空仏」に変わり果て,「換骨奪胎」されている,としか思えない。

 

円空学会編『円空研究―1』より