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古今和歌集で勅撰されし「梅の花」の和歌

本日(令和5年3月4日)、三重県の「なばなの里」(桑名市長島町)に出向くと、「枝垂れ梅(しだれうめ)」が真っ盛りであった。

 

古今集・巻第一 春歌上では、「梅の花」を歌題として、何首か詠まれているが、「梅の花」の「馥郁(ふくいく)とした香り」を詠んだ句が殆どであるのに気づく。
「なばなの里」の「梅」は、ほのかな匂いはしたが、古今集で詠まれているほどの香りではない。現代人(私)の嗅覚が鈍っているのか、昔の「梅の花」は、化学肥料が使われていなかったので、もっと自然の香りが強かったのであろうか。

 

折りつれば 袖こそ匂へ 梅の花
  ありとやここに 鶯(うぐいす)の鳴く
(よみ人しらず)
[現代語訳]梅の花を折ってきた私の袖は、梅の香が馥郁と漂う。そのあまりの香りの高さに、鶯は花があると思うのだろうか、私の傍らまで来て鳴いている。

 

●よそにのみ あはれとぞ見し 梅の花
  あかね色香(いろか)は 折りてなりけり
(素性法師)

[現代語訳]今までは遠くから見て美しいと思っていたのだが、梅の花の見飽きることのない色と香りは、手に折り取ってみて、初めてわかるものなのだ。

 

●梅の花 にほふ春べは くらぶ山
  闇に越ゆれど しるくぞありける
(紀貫之)

[現代語訳]梅の花が美しく咲く春の頃は、名前からして暗いくらぶ山(所在不明)を闇夜に越えても、高い香りで梅が咲いているなとはっきりわかる。

 

●月夜には それとも見えず 梅の花
  香をたづねてぞ 知るべかりける
(凡河内躬恒(おおしこうちのみつね))

[現代語訳]こんなにいい月夜には、白い月の光と白い梅の花とがまぎれて、はっきり見わけがつきません。でも、香を目あてに、梅の花がどこにあるのかを知ることができます。

 

●散ると見て あるべきものを 梅の花
うたてにほひの袖にとまれる
(素性法師)

[現代語訳]花は時がくれば散ってしまうものだと、よそながら見ておればよかったものを、なまじ手折ったばかりに、高い梅の香りがやたらと袖にしみついて消えやらぬ。

 

●散りぬとも 香だにのこせ 梅の花
こひしきときの 思い出にせむ
(よみ人しらず)

[現代語訳]梅の花よ、散ってしまっても、せめて香りだけは枝に残しておきなさい。春が過ぎて、なつかしく思われる時に、おまえを思い出すよすがにしよう。

以上、新潮日本古典集成「古今和歌集・奥村恆哉校注」(新潮社)

 

ブログ読者の中には、「枝垂れ梅」(上掲)と「フツーの梅」とでは、香りが違うのではないか?という疑問をもたれる向きもあるかもしれない。しかしながら、「なばなの里」にも、「フツーの梅」(下掲)もありましたが、古人が和歌に詠むほどの香りやございませんでした。

 

「なばなの里」の中の「ベゴニアガーデン」は、一見の価値がありました。