北口雅章法律事務所

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円空仏鑑賞と「仏教美術の基本」

円空仏は、種類・像容・(3尊形式の)組合せ等、極めて特異で独自のものが少なくないが、仏像である限り、「仏教美術の基本」を押さえておく必要があると思われた。そこで、先般、名古屋市東区の「正文館」で、偶々目についた、石田茂作著「仏教美術の基本」という古書を購入してあった。いつかゆっくり味読したいと思ってツンドクしたあったが、この古書がなかなかの名著で、大変な「掘り出し物」であった(「正文館」は新刊本の本屋であるが、ごく限られたスペースに古書コーナーが設けられている。)。

一般に、特殊な分野での入門書に関して、私が思う「名著」の条件は、読者が真に知りたい本質的な事項が、「素人の視線に立って」簡潔・明瞭に説明されていること(その反面、不用意に難解・不明確な専門用語が避けられていること)、そして、基本かつ重要な事項が網羅されていることだ。上記書籍「仏教美術の基本」は、この意味では、間違いなく「名著」だと思われる。
 本書の冒頭では、「例言」と題する「凡例」の中で、「本書は通俗的な叙述を旨としたため、用語もなるべく専門語を避け、また経文の引用もあまりしないようにつとめた」と書かれている。それでいて、国宝・重文のリスト、典型例の写真がほぼ網羅的に紹介されている。また、「(「国宝の年代は目録にもあるが重文のほうは目録にもない」にもかかわらず、出来るだけ重文の製作年代を付記したことについて)誤っているものもあるかと思うが、一応の年代を知ることは研究者にとって便利がよいと思うので、批判を覚悟してのせた。誤ったのは皆で訂正してもらいたい。」という謙虚で挑発的なスタンスも、素晴らしい。

 上記書籍には、著者の紹介記事がないので、ネットで調べてみたら、石田茂作先生(1894-19777)は、愛知県岡崎市(旧碧南郡)のご出身で、「東京帝室博物館」での勤務(鑑査官・学芸部長)等を経て、奈良国立博物館長文化財保護審議会委員等の職歴がある文化功労者だとわかった。

例えば、円空仏の鑑賞者は、円空が、雨宝童子像・牛頭天王像・蔵王権現像・役行者像といった名称の特異な神仏像を造顕していることを知っている。だが、円空仏を紹介する書籍・図録等では、これらの神仏像の由来や歴史的経緯については(説明するまでもなく、常識だと考えられているためか)殆ど言及されておらず、私のような初心者で、上記の諸像の由来等について、正確に御存知の方は、案外少ないのではないか。

 石田茂作先生の説明によれば、総論的には、「仏教に仏像があることに影響されて神道でも神像を作るようになった。仏像は性を超越した真理を人格的に表わしたものであるため、一尊とか三尊とか五尊とかの形式がとられたが、神像は男女神一組として作られている場合が多い。こうした神像は仏像との対立的な考えから発生したものであったが、神仏融合の結果,そうした対立感情を越えた彫刻が作られるようになった。それが垂迹像である。」と説明されている。「垂迹(すいじゃく)像」というのは、石田先生独自の造語ではないかと思われるが、その主要な例として、著名な薬師寺等の「僧形八幡」の写真が紹介されており、雨宝童子像・牛頭天王像・蔵王権現像・役行者像なども、「垂迹像」として説明・紹介されている。

次に各論的に紹介しておくと、次のとおり。

雨宝童子像(うほうどうじぞう)」について、「天照大神が日向に天降りたまいしときの御姿ともいわれるが、本来は雨を司る神であろう。天照大神は農業の神であるから、農業に必須な雨の神にもなったのであろう。伊勢朝熊山の雨宝童子が名高いが、長谷寺観音の脇侍にも竜王とともにこの像を祀る。その像容は右手に金剛棒をつき、左手に宝珠を持ち、頂に五輪塔を戴くとあるが、五輪塔を戴くようになったのは鎌倉以降ではあるまいか。」と説明されている。ちなみに、円空作の「雨宝童子像」として著名なのは、荒子観音(名古屋市・中川区)所蔵の像である。

「牛頭天王像(ごずてんのうぞう)」については、「京都祇園八坂神社の祭神で本体は素戔嗚尊(すさのおのみこと)という。素戔嗚尊は天照大神の御弟なる故に日本の神様だが、その本地が牛頭天皇であることからその像容は仏教的に作る。何れも頭に牛頭を付する点で共通であるが、姿において三種の別がある、①は三面怒髪で甲冑に身を固め頂に牛頭をおく坐像で、牛頭天王像として最も普通のもの ②は三面怒髪にして頂に牛頭をつけ虎に半跏する像 ③は牛頭を頂にした立像である。」と説明されている。ちなみに、円空作の「牛頭天王像」の中で有名なのは、八坂神社(岐阜県美並村・半在)所蔵の像と、高賀神社(岐阜県関市洞戸)所蔵の像があるが、前者の方は、上記の像容から外れている(観音・菩薩に近い)。

八坂神社(岐阜県美並村・半在所蔵の牛頭天王

 

高賀神社(岐阜県関市洞戸)所蔵の牛頭天王

 

「蔵王権現像(ざおうごんげんぞう)」は、「役行者が大峰山中の修行によって感得されたと伝える像で、仏教には無い像である。三眼怒髪にして頂に三鈷を飾り右手をあげて三鈷杵を執り左手は劔印を結んで腰間におき、岩座を踏んで右足を高くあげ、叱咤の勢をなす。」とある。円空作の「蔵王権現像」としては、小渕観音院(春日部市小渕)所蔵の像が著名であるが、「怒髪」と、「岩座を踏んで右足を高くあげ、叱咤の勢をなす。」以外の像容は省略されている。

 

 

「役行者像(えんのぎょうしゃぞう)」は、「正しい名は役小角(えんのおづぬ)といい、舒明天皇六年に生まれ、始め生駒山に入って精励し、のち葛城・大峰・熊野の諸峰を踏渉して修行霊験を証得するという。一時讒(誤った告げ口)にあって文武天皇御代伊豆に流刑せられるも大宝元年赦され、更に富士九州の諸山に登って苦行し験(げん)いよいよ顕われ常に前鬼後鬼の二鬼を駆使すると伝う。修験道の開祖で、その像容は俗体に袈裟をかけ頭巾を被り高足駄を穿き錫杖をつくものが多い。」とのこと。円空作の「役行者像」も、基本、そのような像容になっている。

■松尾寺(奈良県)所蔵

 

■小渕観音院(春日部市小渕)所蔵

 

■長昌寺(埼玉県・寄居町)所蔵

以上、<写真出典>「三重の円空」(三重県総合博物館)、「円空 こころを読む」(埼玉県立 歴史と民族の博物館)、「美並村の円空仏」(美並村教育委員会)、「高賀神社の円空仏」(長谷川公茂)

 

残念ながら、石田茂作著「仏教美術の基本」には、円空仏の紹介記事はなかった。だが、円空仏の写真が一体だけ、薬師如来の例として「笑い薬師」として紹介されていた。