弁護士のブログBlog
今朝、通勤途上の桜並木の桜が、ポツポツ咲き始めていた。
わが国では、古今和歌集以来、和歌の伝統として、
「花」といえば、通常「桜」を意味した(万葉集では、桜は、基本「櫻花」と表記されている[1864,1866,1870,1872等]。)。
円空の和歌にも、次のような和歌が詠まれている。
けさ(今朝・袈裟)の山 しかもかくすか 春霞
かゝれる枝に 花や咲くらん
(袈裟山百首歌13、和歌集100)
[歌意]今朝の春霞は、こんなにも袈裟山をすっぽりと隠している。霞のかかった木の枝には、花(桜)が咲いているであろうに。
[備考]「しか」は、「そのように」が原義であるが、「このように」の意に用いる場合もある、とのこと。古今和歌集94、万葉集18を踏んでいるとのこと。「(春霞が)鹿も隠すか」と読む見解もあるが、袈裟山(岐阜県北部)に鹿がいたか疑問があろう。
だが、「花」とあっても、「あれっ? 梅かな?」と思う歌もないわけではない。
白雲の花とやミなさん けさの山 かかれる枝に鶯の鳴く
(和歌集104)
[歌意]今朝の袈裟山には、白雲がかかっている。その白雲を花だと思ったのか、白雲のかかった木の枝でウグイスが鳴いている。
だが、実際には、古今和歌集でも、桜を詠んだ和歌に、下掲のとおりウグイスが登場するので、円空の和歌104の歌の花も、多分、桜に違いない。
花の散る ことやわびしき春がすみ 龍田の山の鶯の声
(藤原後蔭ふじわらののちかげ 古今和歌集108)
[歌意]花(桜)の散るのがわびしいのであろうか。春霞が立つ、龍田山で鳴くウグイスのあの声は。
しるしなき 音(ね)をも鳴くかな鶯の 今年のみ散る 花ならなくに
(凡河内躬恒おおしこうちのみつね 古今和歌集110)
[歌意]何の甲斐もないのに、あのウグイスは、やけに鳴いているなあ。今年に限って散る花でもあるまいに。