北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

三木大雲和尚の怪談話に「ウソ」はないか?

三木住職の怪談は、おそらく殆どは実話であろう。もちろん、脚色や一部フィクション化してい部分はあろうが、殆どの怪談の根幹部分は、実話を踏まえているものと善意に解釈できるし、三木住職の怪談説法は、いろいろな意味でよくできていると思う。

だが、「法律家の眼」から見て、ちょっと創りすぎてはいないか?と疑問をもつ例がまったくないわけでもない。

例えば、次の怪談は、「愛犬家連続殺人事件」という実際にあった、「法律家なら誰でも知っている」著名な刑事事件に関連する傑作怪談の一つであるが、はたして…。

 

(著作権に配慮して、相当程度、簡略化するが…、骨子の一部を要約すると)
 三木住職が、若い頃、埼玉県熊谷市での修業時代、「アフリカケンネル」(犬舎のあるペットショップ)を経営していた社長の男Aと知り合い、丸太小屋のようなオフィスに呼ばれて、話し込んだことが3回あった(その後、Aは、所謂「愛犬家連続殺人事件」の犯人として検挙され、死刑判決を受けた。)。その際、Aから「とりあえず何か飲め。」と言われて、冷蔵庫から同じ銘柄の缶コーヒー8缶を出された。Aから「どの缶を取っていいよ。」と言われたので、三木氏は、どれも同じなので適当に選んで一缶を飲んだ。実は、このとき、修業仲間のK君も同伴していたが、K君は、Aとの面談を拒み、店舗の外で待っていた。2回目にAに会ったときも、同様にN君(修行仲間)を同伴していたが、N君が外で待っているというので、三木氏だけが、オフィスに入っていき、前回同様、Aによって並べられた同じ外観の缶コーヒー5缶のうちの一缶を選んで飲みながら談話した。三回目、熊谷での修業が終わった後、三木氏がAのもとに離別の挨拶に出向いたときは、S君(修行仲間)が同伴し、S君が外で待っている状況のもとで、前回同様、Aによって並べられた缶コーヒー5缶のうちの一缶を選んで飲みながら談話した。その後、Aから「もう一缶飲んでいけ。」と言われたが断った、とのこと。別れ際に、Aから「君は、坊主の修業をしているとのことだが、本当に神や仏がいるものと信じているのか。」と問われ、「信じるもなにも、私は超常現象を視ることができるので、神や仏は存在します。」と答えたところ、Aは、「へぇ~」と薄ら笑いをうかべた。
 
 ところが、その後、Aは、「愛犬家連続殺人事件」の犯人として検挙され、死刑判決を受けた。そして、在監中のところ、癌を患ったが、Aの死の間際、Aの知人の男性Bが、Aに会いに、彼が収監されていた拘置所に出向いたところ、AがBに対し、次のような話をしたという。
「俺は、多くの人を殺害してきたが、神や仏はいると思う。昔、埼玉県熊谷市にいたとき、修行僧(三木氏のこと)が三回、俺に会いにきた。その都度、俺は、一缶を除き、全部『毒入りのコーヒー缶』をその修行僧の前に置いた。ところが、その修行僧は、三回とも、『毒なしの一缶』を選んだ。しかも、最後に、すべての缶が毒入りになった状態のもどで、『もう一缶飲んでいけ。』と勧めたが、その修行僧は、『一缶で十分です。』と言って断った。おそらく、その修行僧は、神や仏に護られているにちがいない。」と述べたとのこと。その後、Bが、当時、埼玉県熊谷市にあった修行僧の寮の所在をつきとめ、調べたところ、その修行僧が三木大雲和尚と特定されたので、京都まで訪ねてきて、「あなたは、Aに殺されかけてましたよ。」と言って、Aの最後の話を聞かせてくれた、とのこと(この怪談には続きがあるが、省略。)。

 非常によく出来た怪談話だが、はたして、Aの性格からして、そのようなことがあり得るであろうか。

 三木住職が、毒入り缶を避けることができた確率は、単純計算で8×5×5×4=800分の1であり、上記怪談が事実であれば、三木住職は、800分の1の確率で難を免れたことになる。これは正に奇跡であって、「神仏のご加護」でしか説明のつかない現象であろう。だが、裏を返すと、Aは、「800分の799の確率で」殺人罪による検挙の危険を冒したことになる。つまり、第1回目の「殺人未遂」を例にとっただけでも、Aは、87.5%(=7÷8)の確率で、毒によって修行僧(三木氏)の身体に異常をきたし、外で待っていたK君によって、警察に通報される危険を冒したことになる。はたして、あの犯跡隠蔽に極めて慎重な「愛犬家連続殺人事件」の犯人が、そんな「危ない橋」を四回も渡ることが考えられるであろうか。

ところで、三木住職の怪談集を試しに二冊ほど購入して読んでみた。

怪談和尚の京都怪異譚」と「続・怪談和尚の京都怪異譚」だ(いずれも文春文庫)。
さて、「続・怪談和尚の京都怪異譚」の方には、「弁護士」と題して、Y弁護士が三木住職に対し「大きな事務所に勤めていた頃」の怪談を語るという設定の怪談が載せられていた(158頁以下)。しかしながら、遺憾ながら、やはりヘタに我々の専門領域に踏み込むとウソがバレるように思える。

 

上掲「弁護士」に書かれている「怪談話」を要約すると、Y弁護士がイソ弁時代に、「国選弁護人の仕事」を「先輩弁護士とともに引き受けて」いたが、その事件は、被疑者Aが、ボランティア活動に託(かこつ)けて、被害者V(「山本さん」)に対し、毎月、数万円ずつを払わせていたという詐欺事件とのことである(もっとも、Aは、途中からVに「半ば脅迫すように」活動費用を払わせ続けたというのであるから、むしろ被疑事実は恐喝であろう)。Y弁護士としては、打合せ中にAがウソを言っていることを喝破したので、Aに対し怒ったが、先輩弁護士が、「裁判でも、Aの言うがままの主張をするのが、刑事弁護人の職責だ。」として、刑事裁判(?)の審理の中では、被害者Vの方にこそ落ち度がある旨の主張までしたという。かくて、被害者Vが遺書を遺して自殺してしまった。その後、Vがご両親の夢に出てきて、V(亡息子)の指示どおりに両親が動くと、車のドライブレコーダーに撮影された、Aの恐喝場面の動画と、Vの携帯電話に録音された、AVの交渉内容という有罪証拠がみつかったというのだ。

怪談話の概要は、上記のとおりだが、そもそも、詐欺事件や恐喝事件ごときで、国選弁護人が二人もつくことは、基本的にありえない(重大な殺害事件等で、死刑求刑が見込まれるような重大事案でない限り、国選弁護人は原則一名である。)。

次に、「(Vは)時折、『私が悪かったです』と突然いいかけて、向こうの弁護士があわてて止めに入る場面もありました」とか、「(Vの)ご両親から、『裁判では必ず息子に非がないことを証明してみせます』と(Y弁護士が)言われました」とか、「一般的に、被害者が不在の場合、被害者側が不利になることがあります。」などというフレーズがちりばめられているが、これらの事実は全て民事裁判が前提である。つまり、上記怪談「弁護士」では、明らかに刑事事件(=国選弁護事件)と民事事件が混同されてしまっている。

 

三木住職、これは遺憾ながら、明らかに失敗作です。
改訂又は撤回をお勧めします。

なお、私は三木住職の怪談説法を否定的に評価する意図は全くなく(むしろ楽しませてもらっている。)、ただ、「法律家の眼」にも堪えられるレベルのリアリティを求めたい、と想うものである。