北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「司法改革」のパラドックス(真逆の結果!!)- 前編 -

「民事裁判および刑事司法制度」と,「法曹養成制度」の大「変革」をもたらした,
いわゆる 「司法改革」の原点は,周知のとおり,
平成13年6月12日,

司法制度改革審議会(会長:佐藤幸治・京都大学名誉教授)が答申した

「司法制度改革審議会意見書」

にある(以下,同会長への「敬意」を表して「佐藤・審議会意見書」という。)。

 その超弩級の「大失敗」が,「誰の目にも」絶望的に明らかとなった今日

 改めて「佐藤・審議会意見書」を読み返すと,

その「青年の主張」の如き,「美しい」「理念」を羅列しただけの
「理想」が,もろくも破綻し,
それとは裏腹に,皮肉にも,「パラドクシカルで」「深刻な現実」が,
危機的段階を既に通り越し,
絶望的に進行(逆行)していることに愕然とさせられる。

そして,このような「大失敗」という「目の前の」「現実」が
突き付けられているにもかかわらず,
審議会委員の「誰もが」全く責任をとろうとしていないのであって,
その無責任さには驚き呆れ,憂鬱にさえなる。
(弁護士サイドの「A級戦犯」は,いわずと知れた「中坊公平」氏であるが,
 同氏が亡くなられたときは,同氏の弁護士資格は停止した状態であった。)

 

「3つのパラドックス」

このブログでは,日本の司法制度の「著しい劣化」を憂える「町弁」として,
-誰もが承知しているはずのこととはいえ-,

「罪深い」「佐藤・審議会意見書」に沿って敢行された,

いわゆる「司法改革」によって惹起された,

「パラドキシカルな現実」について,

3つにしぼって,
念のため,確認・整理しておきたい。

1.「『点』のみによる選抜から『プロセス』としての法曹養成」のハズが,
 → 現実には,『プロセス』が崩壊し,『点』さえも消失した。

「佐藤・審議会意見書」では,超難関とされた司法試験
(われわれの世代が司法試験に合格した当時は,出願者数2万2000人前後に対し,
 年間合格者数は,「500人前後の数字が平成2年まで続いた」)では,
「今後の法的需要の増大」には対応できない
(あるいは,中坊氏のデマである-「2割司法」では対応できない)
 という前提・判断のもとに,
司法試験という『点』のみによる選抜ではなく
法学教育,司法試験,司法修習を有機的に連携させた『プロセス』としての法曹養成制度を
新たに整備すべきである。」などと提唱された。

いわば「『点』から『プロセス』へ」などいう,

 「イデオロギー」が登場したのだ。

この結果,

新たに「法科大学院」がぞくぞくと構築され,
司法試験の出願資格についても,
原則として,「法科大学院の課程を修了した者」(司法試験法4条1項1号)が資格要件とされ,
その一方で,「当審議会としては,法曹人口については,計画的にできるだけ早期に,
年間3000人程度の新規法曹の確保を目指す必要がある」,
「新司法試験の合格者数を年間3000人とすることは,
あくまで『計画的にできるだけ早期に』達成すべき目標であって,
上限を意味するものではないことに留意する必要がある。」という
法曹人口の大量増員策が提唱され,
現実にも,年間2000人前後の司法試験合格者を輩出させた
(なお,このように司法試験合格者が増えても,
 裁判官・検察官の採用人数は全く増えず,弁護士人口だけが肥大化していった。)。

 

この結果,どのような事態が発生したか?

まず,前提を確認しておきたい。

「『点』から『プロセス』へ」などいう「イデオロギー」が唱えられると,
「司法改革」の前には,法曹養成のための『プロセス』が存在しなかったかの如くに
社会一般に誤解される可能性がある。

しかしながら,「司法改革」の前であっても,
法曹養成のための『プロセス』が確固として存在していた。
したがって,「『点』から『プロセス』へ」というテーゼは,
極めて,欺瞞的・意図的な,ミスリーディングである
(この意味で,「イデオロギー的」である。),

具体的に説明すると,
-「司法改革」の前までは- 
 弁護士についていえば,次のような「法曹養成プロセス」を経て,一人前の弁護士に育った。

①『点』と揶揄されようが,難関を突破した,4年制大学・法学部出または,
 それと対等の法的知識・法的素養をもった司法試験合格者であること
 が,「法曹養成」過程(プロセス)への参加資格とされていた。
 (文字通りの出発『点』であるが,既に相当な『プロセス』を経てきていた)

②そして, 「2年間」の「司法修習」で,「優秀・有能な」教官のもとで,
 みっちりと実務を学んだ。
(もっとも,司法修習の卒業試験-2回試験という-を合格後も,それだけでは,
 実務能力は十分とはいえない。)

③さらに, 「法曹資格」を得た後も,
 法律事務所に就職して,誰しも,3~5年程度は,ベテラン弁護士の指導のもとで,
 「具体的な事件」を「実体験」する過程(『プロセス』の中)で実務能力を身に付けた。
(これを,On-the-Job Training、オン・ザ・ジョブ・トレーニングという。)

以上の各過程(『プロセス』)を踏むのが通常であった。

ところが,

前記「司法改革」に伴う「弁護士・大量増員」の結果,

上記①②③の法曹養成の『プロセス』は完全に破綻し崩壊した。

①そもそも法曹(弁護士)の大量増員に見合った「需要」など存在しなかったために,
 (法律事務所への) 「就職難民」が大量に発生し,
 弁護士の平均所得の減少等,職業的魅力が失墜した。

 その結果,「法曹離れ」現象が生じたことからも窺われるとおり,
 「優秀な人材」が,法曹界をめざさなくなった。

②司法修習は1年に短縮され,
 いずれの分野の実務修習(民事裁判・刑事裁判・検察・民事弁護・刑事弁護)も,
 各々僅か2ヶ月前後, 「臭いを嗅ぐ」程度に薄められた。

③そして,法曹人口が大量増員された結果,弁護士1人当たりの受任事件数が大きく減少し,
  新人弁護士が,ベテラン弁護士のもとで
 オン・ザ・ジョブ・トレーニング(On-the-Job Training)を受ける機会が消失してしまった。

④そして,上記②③に変わるべき,
 法科大学院制度は,「実務能力の涵養」という面では全く機能していない。
 そもそも法科大学院教授の過半数が,研究者であって,
 自らは(専門分野以外では)「司法試験」に合格するだけの法律知識も総合的能力もなく,
 「司法修習」を履修した経験もないから,
  法科大学院生を相手に,
  実務能力を植え付けるといった教育・指導などできるわけがない。
 また,実務家の教員においても,
 「具体的な事件」と離れて,「法廷ではなく」,「教室内」で,
 「机上の」「教鞭」をとらざるをえないのであって,
  実務能力の涵養にどれほど役立つ講義ができるか疑問であろう。
 (実際,LS出の弁護士が司法修習を終えた時点で,即座に法律事務所の「戦力」となり,
  「ボス弁」が左団扇になった,という類の話など聞いたことがないし,逆に,
  新人弁護士が「実務能力」が「劣化」しているという話しか聞こえてこない。
  小職の受任事件の相手方でも,あらゆる面で疑問符がつく新人弁護士が少なくない。)

 誰しも,新人弁護士を「こきおろす」ことは本意ではないし,
 たとえ「新人」でも優秀・有能な「例外」者は存在するので,
 一般的に「こきおろす」と,
 こきおろした側が,「そんなに偉そうなことがいえるのか?」
 と非難を浴びることは承知している。

しかしながら,

新人弁護士の「資質が著しく低下」し,法曹資格者が「劣化」していることは,
衆目の一致するところ(暗黙の了解)であり,司法試験後の「講評」のなかで,
毎年,複数の試験委員らが,
「(司法試験)合格者の専門的知識や思考力のレベルが低下した」とコメント
公表していること等の諸事情から,
「従来の司法試験では合格できなかったレベルの者が合格」している,といった
「現実」が,平成20年12月の時点で,既に,
自由民主党の「法曹の資質について考える会」の「意見書」
でも指摘されているところである。

ところが,
このような「新人」の資質・能力の「劣化」等の問題について,
多くの弁護士が,公然・毅然と,あからさまには指摘できない原因・理由としては,
そのような「上から目線」の非難自体が
「品がない」とみなされる日本人的気質の問題もあろうが,実際には,

やはり,
例えば,法科大学院の教員であれば,
 自ら教育指導の適否の問題にはねかえってくることになろうし,
例えば,「イソ弁」を雇用している「町弁」であれば,
 自分が雇用している「特定の」「具体的な」新人弁護士の「資質」を
 直接非難しているような様相・外観を必然的に呈することになってしまうからであろう。

 

以上要するに,

 現行の司法試験では,かつての『点』としての選抜機能がなくなり,
 実務能力の涵養に不可欠だった,前記②(司法修習)の養成期間が半減し,かつ,
 中途半端なものになり,さらには,
 前記③(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が失われたことで,
 法曹養成の『プロセス』自体が「崩壊」「破綻」してしまった,といっても過言ではない。