北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

「意味不明」と「事実無根」

 敵対的な相手方当事者の「わけのわからない」言説、あるいは、「晦渋」な独自の主張について、「意味不明」といって批判・非難することがある。
 このほど、元裁判官の大先生に共同受任していただいている医療事故訴訟で、この大先生に御起案していただいた「上告理由書」の上告理由(原判決に対する不服理由)の標題・本文で、「…として判示された(原判決の)本件判断の内容が、日本語として意味不明である」という表現がでてくる。「さすがに裁判官OBの後輩・高裁判事らに対する批判は、手厳しく、辛辣だなぁ…」と感心しつつ、さきほどその書面を裁判所に提出した後になって気が付いた。そうかぁ…、上告理由というからには、原判決が「理由を付せず(理由がない)」ことを主張せざるを得ず(民事訴訟法312条2項6号)、そのためには、なるほど「日本語として意味不明」とまで言う必要があったのかぁ…。

 知人弁護士から「君も読め!」と言われて読んだ(昨日言渡の)判決書によると、私も多少関わりのある某団体が、もと組織の一員であった原告の言説が「事実無根の虚偽発言」であると文書で批判したところ、当該団体が名誉毀損で訴えられた事案であった。
 裁判所は、「事実無根の虚偽発言」が摘示事実に当たることから、被告が免責されるには、被告の方で、「事実無根の虚偽発言」であることが真実であることを証明するか、それを真実と信じたことに相当な理由があることを証明する必要がある、と判示されている。
 昨今は、個別事案に立ちってブログを書いてはいけない、という弁護士倫理の規制・縛りが厳しいので、個人名称を推知させるような事実関係はなるべく避けざるを得ないが、「事実無根の虚偽発言」という表現は、多分に「憤怒の感情を含んだネガティブ評価」つまり「論評」という側面は否定できないであろう。一方当事者の表現が例えばA・B・C・Dの事実の指摘から構成されている場合に、A・B・Cが事実でもDが不実であれば、相手方当事者から当該表現をもって、全体的に「事実無根!」と批判することはありうるし、一概にそのような反論・批判を不当とはいえないのではないか。むしろ、「ないことの証明」は「悪魔の証明」であって認めるべきでないことから、「事実無根」という非難の対象となった発言をした原告側に、その「事実」(特に、上記設例ではDの事実)の証明を求めるのが筋ではないだろうか。であれば、本来、問題(争点)とすべきは、その「虚偽発言」を行った「原告が」証明すべき「(摘示)事実」の範囲・程度ということになるのではないのかなぁ…(感想)。