北口雅章法律事務所

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「絶望の裁判所」(瀬木比呂志著)発行から10年

瀬木比呂志著「絶望の裁判所」の第1刷が発行されたのが、2014年2月20日、今から丁度、10年前のことだった。

先週末、驚愕する「衝撃の」判決を受けたことから、これを契機に、鬱屈した気分のもと、この連休半ばに、書棚から取り出し、改めて読み返した。今から丁度10年前に書かれていたことを拾ってみると、以下のとおり。その深刻さが、益々、顕著な傾向となって現実化しているように思われる。

(ある学者からのメールの引用)「昨晩は元判事の○○さんと夕食をとりました。…
『紛争の本質を考えようなどというタイプは(司法制度改革以降)いなくなりました。ごく形式的に手抜きで事件処理をする判事ばかりです。』と、あの温厚な○○さんがそこまでおっしゃるのかと思いました」

(元良識派裁判官の感想)「最近の裁判官はひどい。ここまできているとは思わなかった。あいつら、ともかく、頭が高いよ、視線が高いよ。当事者のことなんか少しも見ちゃいない。しかも、判決も和解も事なかれ主義でいい加減だし、きちんと考えていない。…。いやいやお先真っ暗だよ

近年、一流の学者から、『最近、以前に比べると、最高裁判所調査官や司法研修所教官の質が落ちてきているということはないでしょうか?』という問いかけを聞くことが時々あった。…
 また、東京地裁、東京高裁の裁判長のレヴェルについても、以前よりムラが大きくなっていて、必ずしもすぐれた裁判官とは限らなくなっているのみならず、はなはだしい場合には、これが本当に東京地裁、東京高裁の裁判長かと思うような訴訟指揮、和解、判決に出会うことがあるという感想を、弁護士からはよく聞くし、…、元裁判官の間にも、あるいはヴェテランの現役裁判官の間にさえ、そういう声はある。

『日本の裁判官は優秀である』などといった言葉は、もはや、ただの神話、幻想になりつつある。行政官僚についてかなり以前から進行してきた質の低下が、裁判官、すなわち司法官僚についても顕著になりつつあることを正確に認識しておかないと、本当に取り返しのつかないことになる。…
 …。裁判官の能力不足のつけは、結局、制度利用者、つまり、国民、市民と弁護士がかぶることになるからである。