北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

レオナルド・ダ・ヴィンチ「アンギアーリの戦い」 上

今日(3月24日)は,
桜山(名古屋市昭和区)の眼科へ定期健診に出向くことにしていたので,
自宅(瑞穂区)からテクテク歩いていくと,フト,思った。
「そういやぁ,未だ(名古屋市博物館で開催されている,Leonardo da Vinciの)
『アンギアーリの戦い』展を見てなかった。そろそろ終わりではないか?」と思い立ち,
名古屋市博物館に立ち寄ることにした。最終日(25日)の前日だ。
(折角,博物館長が,招待券を贈ってくれていたのに,家に置いてきてしまっていたので,
 名古屋市博物館に1300円也を「寄附」してしまった。)

  『アンギアーリの戦い』展は,1/13から始まって,既に2か月近くも経過していたのに,かつ,自宅から近いのに,未だ行けていなかった理由は,いろいろ忙しかったこともあるが,やはり,Leonardo da Vinciのオリジナルではない,所詮「模写」ではないかという思いと,「模写」の中でも,ルーベンス作の模写は比較的迫力があるが,今回,来日しているのは,チラシを見た限りはルーベンス作ではなさそうだし,『アンギアーリの戦い』自体,騎馬武者がもみ合っているが,どのような状態になっているのかがよく分からない絵だ,という漫然とした作品評価が,足を遠のかせていたように思う。

ところが!

会場に入った途端,すぐに「Oh!,来ておいてよかった!!」と思った。
実は「模写」とはいえ,Leonardo da Vinciの『アンギアーリの戦い』,より正確には,この作品のうちの「軍旗争奪」部分を描いた《タヴォラ・ドーリア》の模写は,
イタリアにとっても,国宝級の重要な芸術文化作品であり,
かつ,各展示物が,イタリアの歴史に関する理解が深められように構成されており,
予想外に充実していたからだ。

会場に入ると,最初に目に飛び込んでくるのは,ミケランジェロ作の「ダビィデ」の頭部だ。

「ダビィデ」の実物を見ようと思えば,フィレンツェのアカデミア美術館まで行かなければならないが,そこで見られるのは,足下から見上げるような視点での「ダビィデ」像だ。これに対し,名古屋市博物館では,その頭部の実物大のレプリカ(石膏での複製)が展示されていた。これとて,なかなかの迫力だ。

以下,『アンギアーリの戦い』展を鑑賞してみて,知ったことを整理しておきたい。

 1420年代以降,フィレンツェは,ヴェネチア,ローマ教皇と同盟を結び,ミラノ公国との間で,一進一退の攻防を続けるといった闘争状態にあった。そして,1440年6月,ミラノ軍が,ピッチニーノ(傭兵隊長)の指揮のもと,フィレンツェに攻め込んできたとき,フィレンツェ軍が,イタリア・トスカーナ地方にあるアンギアーリ村にて,ミラノ軍を返り討ちにした戦闘が,「アンギアーリの戦い」である。この戦闘の勝利で,フィレンツェは,以後,ミラノ公国の脅威から脱することができた。

 フィレンツェでは,1494年,メディチ家が追放され,一時期,サヴォナローラ(修道士)の神権政治が行われたが,同人は,1498年5月23日,火あぶりで処刑された(上掲絵画は,サヴォナローラの処刑場面を描いたものであるが,広場の人々の多くの眼が,火あぶりの場面の方に向いていないのは何故だろうか?)。そして,それ以後のフィレンツェの政治を主導した行政長官が《ピエロ・ソデリーニ》で,彼は,1501年,フィレンツェ共和国の国家主席に選出され,1503年,Leonardo da Vinciに対し,戦勝画の製作を依頼した。これが,「アンギアーリの戦い」である。Leonardo da Vinci が描いた唯一の戦闘画だ。

当時(1502-03年),Leonardo da Vinciは,軍事技師として,《チェーザレ・ボルジア》に仕えていた。《チェーザレ・ボルジア》は,父である教皇アレクサンデル6世を後ろ楯として,イタリア中部を軍事的に席巻しており,一方,《ピエロ・ソデリーニ》がフィレンツェの政治を主導していた時代,フィレンツェ共和国の書記官として活躍していたのが《マキャベリ》であり,《マキャベリ》は,フィレンツェにとって軍事的脅威となっていた《チェーザレ・ボルジア》と直接交渉にあたっている。《マキャベリ 1469-1527》は,彼の著書『君主論』で,「目的が手段を正当化する」,「堕落した国民生活に秩序と平穏をもたらすためには,必要な限り,無慈悲で,不正直であれ」,「君主は愛されるよりも,恐れられる方がはるかに安泰なのだ」など説いているが,彼の説く君主の行動モデルが,《チェーザレ・ボルジア》であったことは有名だ。

《マキャベリ 1469-1527》の肖像画は,サンティ・ディ・ディートが描いた上掲・右側の肖像画が有名であるが,当該肖像がは,《マキャベリ》の没後,数十年後に,作者不詳の《マキャベリ》の胸像をもとに描かれたものである。これに対し,上掲・左側は,パオロ・ジョーヴィオ(1483-1552)の肖像コレクションをもとに,コジモ・デ・メディチが,お抱え画家に模写させた《マキャベリ》の横顔の肖像画(「ジョーヴィオ連作」の中の一点)とのこと。

Leonardo da Vinci