弁護士のブログBlog
古代日本人にとって「神の本質は祟(たた)るところにある」
- 2024-05-19
先のブログでは、
「天智天皇の大殯(おほあらき)の時」に額田王が歌った下掲歌について、
「かくあらむ かねて知りせば
(こうなるだろう(天智天皇が亡くなるであろ)と予め知っていれば)
大御船(おおみふね)泊(は)てし泊(と)まりに
(天皇のお乗りになる船舶が停泊するその港に)
標(しめ)結(ゆ)はましを
(標[=占有の標示]を結って、天皇が御船に乗って、天路へ旅立たれないようにしたのに…)
について、「新潮日本古典集成」の伊藤博先生(筑波大学名誉教授)が、
「こうなるであろう(天智天皇が亡くなるであろ)と予め知っていたなら、天皇の御船が泊っていた港に標縄(しめなわ)を張りめぐらして、悪霊が入らないようにするのだったのに。」(滋賀の都は琵琶湖畔にあったので、崩御が港から侵入した悪霊によるものと見て嘆いた歌)
と説示されていることについて、天智天皇の死因が「悪霊のせい」だとする宗教観念が当時存在したのかは疑問ではないか?と異論を書いた。
その後に読んだ、多田一臣先生(東京大学名誉教授)の「万葉樵話」(筑摩書房)によると、
「古代の人びとは、自分たちの住む世界を囲む自然を神の意志の現れとして捉えていた。…そうした自然は、…人びとに恵みを与えてくれるものの、時として大きな災いをもたらした。そうした災いも、古代の人びとは、やはり神の意志の現れ、神の霊威の現れとみた。…神の本質は、災いをもたらすところ、つまり祟(たた)るところにある。」、「何もせずに平穏無事な生活が送れるなら、神を祭る必要などない。祟るからこそ祭るのである。」「そこに祭りが営まれる根本的な理由がある。」とのことである。
これなら、納得できる。
この観点からすれば、先の額田王の歌で、伊藤博先生の現代語訳
「天智天皇が亡くなるであろと予め知っていたなら、天皇の御船が泊っていた港に標縄を張りめぐらして、悪霊が入らないようにするのだったのに。」は、
「天智天皇が亡くなるであろと予め知っていたなら、天皇の御船が泊っていた港に標縄を張りめぐらして、神の霊威が届かないようにするのだったのに。」
と改訳するのが適切ではないか。
「同じことだ。」と言われればそれまでの話であるが…。