北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

唐招提寺所蔵「如来立像」の顔について

唐招提寺所蔵の「如来立像」は、頭部(顔)と両手が欠けている。
ところが、この「如来立像」を「激写」した土門拳は、次のとおり述べている。
唐招提寺如来形立像には顔がない。手もない。しかし胸から下腹と大腿にかけての魅力はたいしたものである。顔を補って余りある。もしこの仏像につまらない顔が付いていたら我々はその顔をのけて考えるであろう。」と(「わが仏像十選」『文藝春秋』臨時増刊・昭和47年、『土門拳の古寺巡礼』に再掲)。

 

では、唐招提寺所蔵の「如来立像」には、どのような顔が付いていたであろうか?

土門拳の上掲写真を見ていたら、…ひょっとして?、と直観的に閃き、ある仏頭が想い浮かんだ。答えは、神護寺の本尊である薬師如来。圧倒的な威厳を持つ顔だ。

おそらくは、これが正解であろう。何故ならば、胸元から下半身にかけての像容・様式が、神護寺の薬師如来と全く同じであり、奈良時代末期の代表作だからである。

 

神護寺は、天皇家の忠臣・和気清麻呂が延暦年間、河内国に建立した神願寺と、高尾山寺とが合併して成立した寺である。そして、この合併に際して、本尊の薬師如来立像は、神願寺から、現在の神護寺に遷移されたといわれている。そして、西宮紘著『釈伝・空海(上)』によると、空海が若かりし時(延暦15年=796年)、神願寺に立ち寄り、本尊の薬師如来を参拝したことになっている。
曰く「この如来は、ほかの寺々の薬師さまとは異なって、恐るべき眼光をもっておられる。空海は、この如来さまの前に立ったとき、すさまじい衝撃を受けた。その鋭い眼差しは、己の心を見通す不思議な力を具えていた。数珠を繰りながら名号を唱えていると、己れ自身の肉体が脱落するような痙攣に襲われたのだ。その痙攣は、やがてゆるやかな波動となって、あらゆる存在の境界を軽々と超えていくかに思えた。そして、何か恐るべきことを予告されたと感じた。」(141頁以下)。ちなみに、この「恐るべき予告」とは、146頁に出てくる。