弁護士のブログBlog
「死刑」判決の後、再審で、「無罪=冤罪」となった著名事件として、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件がある。わが業界では、この4事件を「四大死刑冤罪事件」という。
平常の弁護士業務の合間を縫うように、改めて、少しずつ「再審法」(刑事訴訟法435条以下)を勉強し直していると、(大学時代に刑事訴訟法のゼミをとっていたとはいえ)これまでの不勉強が身に染みてわかるとともに、いろいろ発見も多い。
「四大死刑冤罪事件」の一つ、「免田事件」は、私が学生時代の頃(再審開始決定が出たのが昭和54年9月27日)、再審無罪判決を得た免田さんが、拘置所から釈放されて、はらはらと涙を流して、テレビカメラに収まったシーンを朧気に覚えている。
免田さんの再審請求は、合計6回にも及び、第6次再審で、再審請求を棄却した熊本地裁八代支部昭和51年4月20日決定(原決定)を取消し、再審開始を認めたのが福岡高裁昭和54年9月27日決定であった。この福岡高決は、白鳥決定(最高裁昭和50年5月20日第一小法廷決定)を援用していることから、団藤重光先生も最高裁判事として関与された(後に、弁護士任官で唯一最高裁長官になられた藤林益三判事も合議に加わっておられる。)、白鳥決定の画期的な重要性がよくわかる。
さて、上記福岡高決は、再審請求が数次に及ぶような場合、最新の最新請求で新規の証拠が発見できれば、それまでの再審請求手続に用いられた「過去の」新規証拠でも、再度、判断資料として用いることができる旨を説示した裁判例として紹介されていたので(佐藤博史「刑事弁護の技術と倫理」有斐閣339頁)、念のため、拝読することにした。
私が裁判例を読むときは、まずは「誰が」判決書を書いたか?に着眼する。
…すると、
おお、主任は、懐かしの矢野(清実)部長か。
私が、大分地方裁判所刑事部で実務修習をしていたときの、部総括だった。
当時は、刑裁修習は4ヶ月あったので、数件の判決を起案し、矢野部長に添削していただいた覚えだが、その起案集は、未だ実家に残っているはず。
当時、大分地方裁判所刑事部の左陪席だったM判事補は、大学時代のお友達だったが、今や、福岡高裁刑事部の部総括判事をされている。その先代・左陪席は、その後、地元・名古屋高裁管内で、民事裁判を手掛けてみえたT元判事だが、現在、公証人をされている。そのT元判事(公証人)に事実実験に立ち会ってもらって、作成していただいた公正証書を、(目下準備中の)今回の「再審」請求の「新証拠の中核」に据える予定。