弁護士のブログBlog
一般の方が、身体的な問題を抱えて相談する専門家が「医師」であり、社会的な(あるいは家族間の)問題を抱えて相談する専門家が「弁護士」である。ともに一般の方が相談相手とする「専門家」であるがゆえに、「ベストフィットの専門家にかかることができるかどうか」が「運命の分かれ道」になり得る面があることが共通しているといえよう。
先日、「不慮の医療事故」で父親を亡くされた、近隣県ではあるが、県外の方から、ホームページからの相談フォームを介して、相談を受けた。名古屋では、医療訴訟を専門に手掛ける弁護士が多く、「名古屋×医療事故×弁護士」等で検索をかけると、いくつかの法律事務所のホームページにたどりつく。多くの方は、それらを読み比べて選択されるのであろうが、彼の場合は、名古屋市内で事務所を構えるA弁護士こそが「ベストフィットの専門家」であると判断し、A弁護士に相談したところ、A弁護士から「……の点で医師の過失責任を問う余地があるが、……との弁解が出てくる可能性がある。今度、会って説明したい。」という趣旨の連絡があったとのこと。ところが、彼(相談者)としては、「相手方医療機関の対応は、『犯罪』行為に近いもので、弁護士が自信のないことでは困る。」との心情から、次なる弁護士を探そうとしたところ、「目下、愛知県内で、医療サイドの弁護士らから、最も、煙たがられている(?)患者サイドの弁護士」が私であるとのウワサを聞いて、「ベストフィットの専門家」ではないか?との期待を込めて、私に調査の引継ぎを相談なされたもよう。
だが、私の判断では、a.A弁護士こそが、相談者にとっての「ベストフィットの専門家」であり(能力も高い)、b.A弁護士が慎重な態度を取るのは弁護士として当然のことで、「……の点で医師の過失責任を問う余地がある」という回答は、A弁護士が相当な医学的根拠をもって回答されていると理解してよろしいこと、c.逆に、A弁護士が「医師の責任追及は難しい」と言われれば、どの弁護士に相談しても「難しい」と返答するものと思われること(私もしかり)等を説示する旨のメールを返信しておいた。(彼からの返信メールでは、私のアドバイスこそが「ベストアンサー(?)」として、ご理解いただけたもよう。)
……てなことがあって、先の「折々の言葉」を読んだとき、「仲野徹」氏の名前をみて、「あれ? どっかで見たなぁ…」と思った。他人の名前をすぐに忘れるのは、老化現象としてやむを得ないのであるが、「折々の言葉」末尾に「医学書の『……病理学講義』」という引用文献をみて、はたと気づいた。即座に、はたと気づかない弁護士は、 医療訴訟を扱う弁護士としては、「ベストフィットの専門家」にはなれまい。とはいうものの、私自身、当該『講義』を途中までしか読んでないことがバレてしまった。(今読み返すと、「折々の言葉」の上記引用部分は、同書末尾369頁、『おわりに』の前のページに書かれてました。)