北口雅章法律事務所

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「みすゞの心」を欠いた裁判官による判決を嘆く

かつて最高裁第一小法廷に所属してみえた櫻井龍子・元最高裁判事のエッセイで、「金子みすゞ」の詩が引用されている。

司法の窓 第81号 | 裁判所

 

・「浜は鰯の大漁で祭のようだけど、海の中は何万の鰯のとむらいだ
・「昼の星は眼に見えぬ、見えぬけれどもあるんだよ
・「子どもが小雀を捕まえて子どもの母さんは笑って見ているが、小雀の母さんは屋根の上で心配そうに見ている

 

櫻井さん(当時最高裁判事)は、そのエッセイの中で、
・「物事には必ず二面性がある
・「ひとつの事実が見方に全く異なる結論につながる
・「最判では、なるべく見えない部分、裏に隠れている事情なども洞察しながら判断するようにしている
と述べられておられる。

このような感性と姿勢をもって、裁判に臨んでいる裁判官がいったい、どれほど居るのだろうか?

一方で、昨年、ある大学医学部教授からご紹介いただいた某分野の専門医とのメール交信の中で、「反側空間無視(はんそくくうかんむし)」(脳の損傷により左右どちらかの空間を認識できなくなる症状)という医学用語があることを知った。ちなみに、「視野狭窄」(半盲)の場合は、視力の喪失に起因するが、「反側空間無視」の方は、視力は失われていないのに、空間の片側半分の認知能力を欠いた状態となる。
 昨今は、「反側空間無視」の障害者のごとく、敗訴当事者の主張を支える根拠・証拠を尽く無視し、洞察力を欠いた裁判官がいかに増えたことか。実に嘆かわしい。