北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

奈良での「円空の事跡」(覚書)

 

奈良県吉野郡天川村(てんかわむら)所在の栃尾観音堂には、5体の円空仏が残る。

【1】観音菩薩像、【2】弁財天像、【3】金剛童子像、【4】大日如来像(【1】の胎内仏)、及び【5】護法神の5体である。

 

 

 

 栃尾観音堂に遺る5体のうち護法神像【5】だけは、異種・異形であるが(抽象化がみられる)、同一場所に遺ることから同時期に造顕されたものと考えられる。そして、観音菩薩の背面内刳り(うちぐり)に納められていた紙片には「寛文作之」と墨書されており、一方、この護法神と、三重県志摩市阿児町立神少林寺に遺された護法神像(極端に抽象的にデフォルメされている。【6】)との連続性を考慮すると、これら5体は、寛文13年(1673年;延宝元年9月に改元)の作(当時・円空42歳)と推定される(小島梯次著・紀行Ⅰ・67頁)。

 

奈良県大和郡山市山田町・松尾寺に遺る役行者像【7】は、「延寶三乙卯九月大峯円空造之」との墨書名があることから、延宝3年(1675年)9月、円空(当時44歳)は、奈良・松尾寺にて寄居していたことになる。その後、円空は、尾張名古屋に向かう。つづく。