北口雅章法律事務所

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“究極の” 芸術作品とは,どのようなものか?

日本が世界に誇れる“究極の” 芸術作品といえば,
やはり何をおいても,広隆寺(京都)の弥勒菩薩半跏思惟像であろう。
静謐の内に,心が洗われるような気持ちにさせてくれる仏像である。

 

かつて,ドイツ実存主義哲学の泰斗,ヤスパース(K.Jaspers)は,この仏像を評して,

「本当に完成され切つた人間『実存』の最高の理念が,あますところなく表現され尽しています。それは,この地上におけるすべての時間的なるものの束縛を超えて達し得た,人間の存在の最も清浄な,最も円満な,最も永遠な姿の表徴であると思います。私は今日まで何十年かの哲学者としての生涯のうちで,これほどまでに人間『実存』の本当に完成されきった姿をうつした芸術品を,未だかつて見たことがありませんでした。この仏像は,我我人間の持つ『人問実存における永遠なるもの』の理念を,真にあますところなく完全無欠に表徴しているものです」と述べたという(篠原正瑛「敗戦の彼岸にあるもの」)。

 ヤスパースのこの讃辞は,日本人の国民感情をくすぐるものがあるが,どうやら一片の写真を見ての感想とのことであるから,どこまでこの弥勒菩薩像の本質を捉えたうえでの発言であったか疑問なしとしない。が,この弥勒菩薩像を直に鑑賞したときの感銘は誰しも忘れ難いものであろうと思われる。

 

 では,この弥勒菩薩像に匹敵する,“究極の”芸術作品が,西欧に存在するであろうか。
私にとっての,広隆寺・弥勒菩薩像は,無比のものではあるが,これに比肩すべき
西欧でみる,“究極の”芸術作品といえば,
やはり何をおいても,ミケランジェロ(Michelangelo)の
「ピエタ(聖母子像)」(ヴァチカン・聖ピエトロ大聖堂)の中のマリア像だと思われる。
心が洗われるような静謐さの中に,“祈り”を感じさせる“究極の”芸術作品であること
において,本「弥勒菩薩像」と本「マリア像」は共通し,双璧をなす。

  

   ところで,私には,両作品には,その本質において,微妙な違いがあるように思われる。
「弥勒菩薩像」の方は,専ら静謐の中で“魂の平穏”を感じさせる作品であるのに対し,
「マリア像」の方は,静謐の中でも,“魂が揺さぶられる”ような思いを感じさせる作品である。
それゆえにこそ,
「弥勒菩薩像」の方は,専ら静寂の中で味わうべき作品であるのに対し,
「マリア像」は,名曲(音楽)とともに,それを聞きつつ味わうと,より一層感銘を受けるように思われる。
そして,このような名曲として,
ペルゴレージ(Pergolesi)の 「スターバト・マーテル(Stabat Mater)」こそ相応しい。

お薦めは, Stabat Mater
for soprano, contralto, strings and basso continuo
by Giovanni Battista Pergolesi (1710-1736)

 https://www.youtube.com/watch?v=xHQVtYzjLao

              Claudio Abbado (指揮)

https://www.amazon.co.jp/Pergolesi-Stabat-Mater-Giovanni-Battista/dp/B000001G5Q/ref=pd_lpo_sbs_15_t_2?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=TRY69C29053VPE1BKDKN