北口雅章法律事務所

弁護士のブログBlog

名古屋大学法学部の 「3K」

職場の「3K」といえば,
「汚い (Kitanai) ・危険 (Kiken) ・臭い (Kusai)」じゃなくって,
「きつい (Kitsui) ・汚い (Kitanai) ・危険 (Kiken) 」

名古屋大学法学部の「3K」といえば,
「片岡(信恒)・加藤(新太郞)・加藤(幸雄)」
の3先生 を指す。
敬愛する片岡信恒先生(弁護士)に,
加藤新太郞先生(元東京高裁部総括判事,元司法研修所教官
加藤幸雄先生(元名古屋地裁所長判事,元司法研修所教官)だ。

ブログで,個人名を出すのはマズイという意見もあろう。
加藤新太郞先生は,われわれ44期の司法研修所教官である上,
多数の裁判実務の著作・判例評釈等で知られるが。

もっとも,この3Kを生んだ名古屋大学法学部は,
おそらく,同学部の過去,“最も輝ける学年” と思われるので,
ご容赦いただきたい。
ちなみに,片岡先生によると,
上記3K「片岡・加藤・加藤」は,奇遇(?)ながら,
名古屋大学法学部でも同じクラスで,
アイウエオ順で出席番号も連続しており,
今でも,旧懐を暖めての交流があるという。

 

が,あることを機にふと思ったが,上記3Kのお三方は,大学生時代,
共通の“ため息”をもらしていたのではないか?
「ココは,“ボクが来るところではなかったハズ”だが・・・・」と。

名古屋大学法学部の学生・OB・OGには申し訳ないが,
片岡先生の愚痴(?)から忖度するに,
「3K」の実力からすれば,
おそらく,
いずれの先生方も東京大学法学部に進学していたはずだ。
それがなされなかったのは,
実は,3Kが大学入試を控えた年,
東京大学が学園紛争で,大学入試が中止されてしまったからであろう。
つまり,3Kはいずれも,
1969年の「東大入試中止事件」の「犠牲者」なのだ。

私の司法試験受験時代,
上原敏夫先生(当時一橋大学教授・民事訴訟法)が,
司法試験を「1番で」合格されたと聞いたことがある。
上原先生が,一橋大学出身なのは,
実は,やはり1969年の「東大入試中止事件」の「犠牲者」とのこと。
したがって,名古屋大学法学部の「3K」と同年齢だとわかる。

この学年をもって,一つの「横の」座標軸が形成されているのだ。